今日は八千代スクールがありました!!

雨の一日となりましたが、体育館でやれるのはありがたいしこういう出来る場所、時間を大切にしてほしいと願います。今日は練習前に一人外靴で参加しました。基本的に『室内でやるにふさわしい状態』であればそれは良いという事にはなっています。ですが、『その感覚』がズレた場合はどうしようもありません。

体育館には土が落ちました・・・。

『これってどうして起きるのかな?どうすれば良いのかな?』を本人に問いかけました。ようやく掃除をしてくれましたが、その掃除すら『責任』ではなく、『やらされている』状態になるのです。普段の学校での掃除時間もどうやっているか?が分かります・・・。そうやって『日頃の習慣』が人と、人格者として形成していくものですから習慣で決まります。何がその人間にとっての『当たり前』なのか?です。

もうちょっと好きな事をやる以前に、やるべき事って各自あると思います。

そして、そんな事をしながらみんなは自由に集まって試合を始めました!!

好きなサッカーの好きな試合・・・・のはずが・・・・

誰一人笑っていません。誰一人楽しそうではありません。何の束縛もなく、何の条件も付けていない、全部自分達でやれる時間なのに、です。

『今の時間楽しかった???』と聞くと、

1人だけが手を挙げました。残りは暗い顔・・・。

これはダメだと判断し、練習やったり、ボールを触らせるよりも『やりたい』と思う気持ちが先なんじゃないの?って事の重要性を話しました。やりたくもない事をやらされて、それで技術が身に付いたからって楽しくなるのかな?という話。自分がやりたくてやっているスポーツなの?って話。普段、あまりされていないようです・・・。考えた事もないのが本音。

だから意思もなく、目的もなく、与えられた事をこなそうとする。それが習慣になっている八千代スクールの集団。これはかなり根強く、ここを変えるのは本当に根気のいる作業。

親や先生の前でごまかしている部分が理解されていないようです。

うちの子はめっちゃサッカーが好き、と勘違いされているようです。

やる気があります、って言葉も聞いたりするけど、それは『大人が見た基準』だったり、『大人がそういう風にさせているだけ』な事が多い。自主的って何だろうか?自分からってどういう事か?をきちんと持ってやっていない気がします。

だから質問に対してもきちんと答えられない、もしくは『大人が喜びそうな答え』を懸命に言おうとする・・・・本当に胸が苦しくなりますね。自分の言葉ではなく、言わされた言葉。その違いが明らかなのは『どうしてそう思うの?』と一つ踏み込めば答えられないからです。

だから、大抵の大人は最初の言葉だけで『立派な意見だね』と評価、判断、誉めをするのだろう。。。。だからこうなってしまう。

自分の気持ちで考え、自分で工夫し自分で実現させていく楽しさこそが『好きでやっている事』です。

それがなく、『がんばる』『一生懸命』『必死』なんて『美学っぽい言葉』で片付けている事が多いように思える。それをさせている大人はそれで満足するのかも知れないが、子供の人生って大人が決めていくものではないのです。子供がやりたい事が出来ない環境を大人が作ってはいけないし、勝手にやるべき事を押し付けてもいけない。

我々は『育成』であり、『完成』が目的ではないのです。どうもその基本的な部分の考え方から大きな相違があるように思う。サッカーが楽しめないのは、環境のせいではないのです。根本的な自分自身の考え方のせいなのです。だって、『楽しい』って思う時間は、自分が好きな事をやっているからですよね?もしくは思うように出来たからですよね?嫌々やって、うまくいかなくて楽しいなんて経験絶対ありません。つまり、『自分の判断』なのです。

うまくいかない時だけ都合良く『何かのせい』にする考え方がすでにズレている事を分かってほしいのです。楽しめるのも、自分のおかげ。楽しくないのも自分のせい。です。

これを変えていかないとどう考えても子供はうまくとか、成長ってありえない訳です。

時間を掛けてやる価値は十分にあります。この地域の学校、習い事の環境自体がそうなってしまいがちだと思うからです。

自分の気持ちと向き合うのがとにかく出来ない子が多く、誉められた事も、注意された事も『他者の評価』な子がとにかく多い。自分は自分。

人間は意思を持ち、考える事が出来るから素晴らしいのです。その特性を出さずにロボットになるのは良くない。もっと自分で考えて、自分でやる、自分がやる習慣を持てるようにさせていきたいと思う。

メニューや声掛け、工夫、改良がめっちゃ必要!!がんばらなければ!!!良い宿題をもらっています。がんばります!!