今日は午後から神戸で三宮SCさんとの練習試合があり、今中代表と帯同してきました!

昨夜も今日に合わせて色々子供の事を考えたり、準備をしていました。考えるとキリがないし、終わりもない。それでも少しでも、毎日が良くなるようにと頭を悩ませる。でも、なかなかこういうのが人と噛み合わない。期待をしているのではない。でも、一緒に育てるべき立場であるならば同じ視点で悩んでもらいたい。そう思う。大人が自分の基準を持ち出すと子供にはプラスには働かない。それは常に感じる事であり、今日は行きの車の中では2年生のリーダー4名を乗せて着くまでチームの事を徹底討論!それぞれの考え方や思う事を聞いた上で、どうしていくべきか?何がチームにとって良い事なのか?など本当に色々話出来ました。リーダーと言ってもみんな一人の生徒であり、一人の人間であり、みんなと同じ年齢な訳です。そういう中でもみんなをまとめる立場で奮闘しているメンバーにはそれぞれの思うがやっぱりあって、それを聞きながらいると本当によく考えてくれているのも分かる。人間だから出来る事、苦手な事もある中でリーダーは、良い手本になろうとそれぞれの立場でがんばってくれています。

もちろんそれ以外のメンバーもがんばっているのは分かる。

ただ、『自分の事だけ、自分の基準で』しかがんばれていない事を自覚してほしい。競争の場になってきた今、決めたメンバーにも、外れたメンバーにも『今現在何が足りなくてどうしていくべきか?』を必ず話します。

今日は日程的に1年生チームが先だったのでファルコとしてのベストメンバーは最初ではありませんでした。その事も含めてメンバーを1時間以上前には発表し、考えて動くように言いました。ところが最初のメンバーは結局、言われるまで動かないし、動き出しても誰かの指示を期待、待っている状態・・・。だからメンバーにも入れないって事を分かってもらいたいし、こういう現実を保護者の方々にも理解してほしいと思う。我が子がどうしてうまくいっていないのか?どうして落ち込んでいるのか?矛先を相手に向ける前に、自分自身の関わりはどうなのか?成長させるって何なのか?をきちんと子供と一緒に考えれているのか?って事を。

子供と対話をすると、一人一人の考え方、習慣、環境が見えます。考えない子というのは結局、親が、大人が助けすぎるという事、罰を与える事、物で釣る事。です。それしかありません。

今、目の前で我が子がうまくいっていないと感じるならば自身の関わりをまず省みてほしいという事。

うまくいかない、うまくやれないのは子供のせいではありません。誰だって何かをやるからにはうまくやりたいと思うものです。それが出来ないから困っているのです。その時に『答えを教える』のと『考え方を教える』のとは大違いです。一回だけでは差にはなりません。その場を凌ぐ為ならごまかせます。

ですが、それが2回、3回、10回・・・100回ともなれば当然大きな差になるのです。その積み重ねが『習慣』です。ボールを足で当たり前に扱う習慣を持たせたい。ファルコは今それを一番考えている部分です。でも、それは簡単な事ではありません。それはボールというものを足で扱うより、手で扱う習慣のほうが圧倒的に多いからなのです。習慣を変えるのは簡単な事ではないのです。その簡単ではない過程の中では当然うまくいかない事のほうが多く、その時間も全て受け止めた人間が一歩前に進めるのです。成功=進んでいるのではありません。失敗であっても、どう受け止めるか?で進歩しているのです。今日の試合を多くさせてもらう中でも、①話す前に発見する子、②話して気付く子、③話しても理解出来ない子、④自分の頭で考える気のない子、って部類に分かれます。③まではゆっくり話せばいいし、見守る事で変化も起きますが、④の状態の子には何もどう話しても同じなのです。

考えるという不得意な事からは逃げる、避けるからです。

そうやって今日本で開催されて注目されているクラブのワールドカップ、それに出ているレアル・マドリードなんてちょっとサッカーやっていれば分かるぐらいの有名チーム!!誰もが憧れるチームです。そういうチーム、そういう場所を、綺麗事で憧れるだけで終わっている子が多い。そこに到達する為には当然並大抵の事では叶わない現実をまだ心から理解出来ていないようです。

自分がしたくない、苦手な事からは避けておいて夢の形だけ綺麗に整えたって叶う訳がないのです。好きで始めたサッカーにようやく向き合うようになってきたみんなですが、向き合った事でそんなに好きではないのかも知れない事にも気付いている子はいると思う。ただ、その現実が怖くて見ない、思わないようにしているだけなのかもしれません。

でも、自分は自分。逃げても、避けても、ごまかしても、ずっとずっとこの先もその自分と付き合っていくしかないのです。だから現実ごと受け止めなさいって話をしているのです。

今日、2年生の多くが色々な面で進歩していると再確認する事が出来ました。大きな収穫がありました!

反面、1年生の幼さ、1年生の甘さが露骨に見えています。1年生だから出来なくてもいいや、なんて考え自体が甘い。君達に出来ない事を余裕でやっている小学生を鳥取で観ておきながらまだそんな考えで逃げようとする子がいる。すごく爆発的に変化、成長する子もいるはずです。これだけ甘い中で育っているんだから、変化はきっと大きいいはずなのです。問題はそういった課題に向き合う大人のほうの姿勢だと思う。

出来ないからダメな子、とかではなく『この子がどうすれば大人に近づいていくのか?』という事を考えてほしい。自立をさせる、責任を持たせる、協力する、してもらえる人間にする為にはどうしていくべきなのか?その正解を大人の基準だけでやらないのがきっと正解だって事。目の前の悩んでいるであろう子供と向き合って、一緒に考えるべきなんだと思う。大人がいつも正解なのではない。自分が正解なのではない。だから、一緒に考える、一緒に学ぶ、一緒に進む『歩幅』を大人が合わせにいかないといけないんだと思う。

ゆっくりなのか?早いのか?大人も子供も無理のないペースなのか?

どちらにも余裕がなければ相手に合わせられません。揃わない環境では笑顔はどんどんなくなります。余裕がなくなれば成果もどんどん下がります。

なりたい形、したい形からどんどん遠のきます。。。

勘違いはしてほしくはありませんが、誰にでも歩幅を合わせる訳ではありません。自分の意思でサッカーをやろうと決めた人間とだけです。誰かにやらされたような人間との歩幅は合わせたくても合いません。『個性』と言えるのは最低限、その条件が整った時です。そこだけは見守る大人側がきちんと線引きしてほしいと願います。