新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します(ー人ー)☆

2ヶ月程かけて、

チビチビ読んでいた司馬遼太郎小説『関ヶ原』。

大晦日にやっと読み終えました。。。

あ〜、面白かったぁ〜(^0^)!!!

1600年に起こった「関ヶ原の戦い」は

たった1日で終わりましたが、

所謂【天下分け目の戦い】で、

この日で持って、

徳川家康の世となることが決まった日となりました。

この戦いは、突発的軍事行動ではなく、

徳川家康を中心とした虎視眈々と

権力や領土獲得・拡大を目論む男達によって

前々から起こっていた政治的工作が見える化した現象だった・・・

ということが今更ながら分かりました(笑)。

この小説は比較的、

西軍の石田三成とその周りの人たちの描写に重きを置かれており、

プラス次期権力者である徳川家康と

それに群がる武将たちがたくさん描かれていて、

それぞれの登場人物が、

どのような価値観を持った人間で、

またどのような想いで東・西軍についたのか?

はたまた中立を保ったのか?など、

「戦闘俯瞰図」という感じでもあります。

今の世にもいろんな価値観を持った人間が存在し、

今も昔も人間の本質は何ら変わっておらず・・・

従ってその対処法も全く同じやなぁ〜と、

人間の成長・進化の無さが妙ょ〜に

滑稽に感じられました(笑)♪

徳川家康の言葉

「人間の本質は“義”ではない・・・

ある者には“誉め”を与え、

ある者には“利”(石・こく、領土)を与える」

に納得です。

死んだ豊臣秀吉に恩義はあっても、息子の秀頼には無く、

死んだ秀吉の遺言そっちのけで、

次の権力者にこびを売る男達がいかに多いことか。

これがこの娑婆の理なんでしょう。

私は【義・真理】に生きる人生を選びました。

徳川家康(的人間)からすれば、

「一番扱いにくい人間である」です(笑)。

利から遠のくと、

人間は【真の自由・幸福感への到達】を

得ることが出来るということを、私は掴んだからです。

「人の上に人は作らず」です。

さりとて石田三成のように、義を持って生きようとしても、

自分自身を過信し、その義で他者を見下したり、

攻撃する武器にして、敵を多く作ってしまう・・・

人徳の無い人間にもなりたくないですね〜(^^;)。

あと感じたことは、

自らの感情や思い込みの渦に巻き込まれることなく、

客観的事実として、粛々と受け止め、

目の前で起こっている全ての現象を達観し、

的確に淡々と対処して行きたいなということです。

・・・面白いのが、

その戦いで、徳川家康に真っ向から対立した訳ではない、

比較的中立を保った長州・毛利家と薩摩・島津家に対して、

関ヶ原の合戦で家康に味方した多くの武将達への家禄(領土)を

与えなければならないという理由と、

自分の権力を確固たるものにしなければならないという理由で、

いろいろウンチクかまして、

両家の家禄(権力)を一気に減らしてしまいました。

その恨みを、両家に属する人達は江戸時代の間、

ず〜〜〜っと抱き続けていて、

結局この両家が江戸幕府を倒してしまったとのこと。

めちゃくちゃアッパレ☆な歴史的事実ですよね〜(^0^)!!!

土佐藩にしても、

西軍についた長宗我部家が徳川家康によって滅亡され、

東軍についた山内家が次に土佐藩に入って来た訳ですが、

元々長宗我部家の下で武士をやっていた人たちが

「下士」という身分に落とされて、

山内家が土佐藩に入藩した時に連れて来た武士たちが「上士」となって、

少数派の上士が多数派の下士を不条理な差別で陥れ続けて来た

という恨みが積もり積もって幕末、

坂本竜馬のような下士(志士)が登場するって、

これまた凄いドラマですよね〜☆

ほんと、先祖の罪(因果)は積もり積もりながら時空を超え、

子孫の大罪となって、大きく応報するもんなんやなぁ・・・

ってしみじみ実感いたしましたぁ(>0<)!!!

徳川家康は現在も『神』として、

日光東照宮に祀られておりますが、

その神効果並びにその存在意義は江戸時代で

完全に終焉を迎えたと私は観ています。

大小様々な罪を犯した人間が、

人を救い真の道へと導ける神に成れる訳ないでしょう。

ちゃんちゃら可笑しな話です。

従って私はこの娑婆世界に「権力者」として存在していた人間を

神格化するために建てられた神社(単なる政治的装置)に対して

猛烈な嫌悪感を感じており、お参りしようとも思いません。

(※これはあくまで私の価値観であり、

人様に押し付けるつもりはございません)

江戸時代という比較的平和な時期が200年以上も

続いた功績はあるかと思いますが、

江戸時代中も、徳川家を永続させるための、

数々の大罪・・・

これは消未来永劫消し去ることは出来ないでしょう。

権力分散・縮小の為、浄土真宗・本願寺を2つに分けたのも、

決して許されることではありません

(ま、家康にそのスキを見せた当時の宗教者も、

利に走ったバカだったのでしょう!)。

・・・さて。

次読む小説は『項羽と劉邦』(こううとりゅうほう)です。

紀元前3世紀末、秦の始皇帝が死んだ後に

歴史の表舞台に登場した項羽と劉邦のお話です。

この2人の戦いの方法、そして人間性の違いを通して、

いろいろな娑婆法則を学べそうで、益々嬉しいです。

娑婆(=人間)法則が分かれば、

それにいちいち惑わされることも振り回されることも無く、

娑婆世界の数々の荒波を楽しくサーフィン(謳歌)しながら、

おのずと【真(=神)の道】を歩むことが

出来るかと思っています。。。南無南無っ(^人^)☆