日 時 平成29年3月22日(水)13時30分〜15時
第11代垂仁天皇とその天皇を取り巻く妃たちの話しでした。
最初の皇后サホヒメは、兄のサホヒコからこの国を二人で
統治しようと謀反を誘われ一旦は同意したものの、天皇を殺す
ことが出来ず事件が発覚してしまいます。
天皇は早速サホヒコを討伐すべく軍を起こしますが、サホヒメ
は兄と共に城にこもり死んでしまいます。
天皇は皇后の遺言に従って、丹波から丹波道主命の5人娘を
呼び寄せ、長女のヒバスヒメを皇后に、次女から四女までを妃といたします。
五女の末娘・タカノヒメは容貌を理由に本国に送還されることになり、その帰路で悲観して自害してしまいます。
このように天皇家では、多くの妃を丹波から入れていますが、丹波(律令制以降は丹後)とは、大和にとってどのような存在だったのでしょうか。
古墳時代前半には、丹波に奈良の佐紀古墳に類似した古墳が相次いで出現しています。
これは、大和政権と丹波は技術を共有している濃い関係にあったと言えます。
当時 倭は朝鮮半島へ積極的に出て行った頃(目的は加羅の鉄)で、半島に近い丹波は日本海の交通の拠点として、大和政権にとって重要な地域と位置付けていたので、婚姻関係も強くしていたと推測されるとのことでした。