「無関心」の罪

沖縄では、同じ日本人同士が、

右だの左だのと別れ対立していました。

この対立を、

一般的な視点から別の観点から考察いたしますと、

まるで夫婦のように【対(つい)】の関係のように、

補い合っている感じもいたしました。

この世の中(娑婆)には100対0はありません。

つまり、この娑婆には100%正しい人間(組織)もいないし、

100%間違っている人間もいない・・・ということです。

だから私たち人間は、

常に自分以外の他者と補い合わないと、

100%に近づけない訳です。

しかしながらこの娑婆は、

そう簡単に補い合い平和に過ごすことが出来ない・・・

対立すること自体が修業(人生の目的、魂の錬磨)なので、

ありとあらゆる場所で、

いろんな人間同士が対立し、喧々囂々している訳です。

沖縄問題を切り口にして思うことは、

「右だ左だと騒ぎ活動されている方々は

【無関心な人】よりずっと尊い」ということです。

結局のところ、

【自分さえよければいい・今さえよければいい・お金さえあればいい】と、

自分の幸福のみしか関心がない・・・

それ以外の他者に対しては無関心という、

間違った個人主義=自己中心主義が、

この娑婆に“悪魔”を蔓延ませ、

私たち善良な市民の生命と財産を脅かし、

陰に陽に搾取し続けている訳です。

私たち善良な市民が、まずは無関心から脱却し、

あらゆる対立を乗り越えて、

大きく調和【大和】することが出来れば、

悪魔はそこでは存在出来なくなり、

真の平和な社会・世界になって行くのではないでしょうか。