太鼓の迫力ある音は叩くバチが硬いだけではありません。
太鼓そのものが強い革で覆われているから、それがしっかりと張っているからです。
叩いて響くのはお互いが共鳴するからですね。
人間関係だって同じ。
一方的はありえません。
『分かってください』
では分からない。
『あなたの事が分かりたい』と思うからこそ分かるのです。
コーチを始めて18年。
最初は子供のご機嫌取りからでした。そして親のご機嫌取りでした。
それを『いいコーチ』として評価され、いい気分になっていた自分を思い出します。
そのいいコーチと酔いしれている後ろで何人もの子供を悲しませていた事など全く気付かなかったのです。
そんな日々から自分の、大人の都合にならないようにする事から始め、子供にとって大事な事、育てるって事を真剣に考え、向き合い、スタッフ同士でも対立し、今があります。
そんな考えを変えてからやっている今の指導を大半の方々には『厳しい』とか『きつい』と誤解をされる事も多々。。。
どのタイミングでどんな事を、どこまで細かくやっているかを知る由もなく、
まるで『しつけ』に近い事まで関与しなければならなくなった今、現場での葛藤は尽きません。
大人が大人の責任を果たしているのか?本当に考えさせられます。
子供が成長していく隣で大人も成長しているのか?
大人はもう良いのか?
子供にだけ成長してもらおうとしていないか?
だから・・・・
『反抗期なんです』
って言う言葉で片付けるのです。
双方が成長していく事が『育成』であるという事を痛感しています。
だから、自分がいくら良い音を出す為に強く太鼓を叩いたとしても、太鼓のほうが革を張らずに緩んでいたら・・・。
出ませんよね?
勝手にそこで成果を求めていませんか?
場所に求めていませんか?
求めている自分は何か我慢していますか?厳しくしていますか?甘い=優しいになっていませんか?
どうも順序がおかしい。
コーチ同士も、毎回毎回練習が終わればその日の反省、次への課題を対話します。
1時間も2時間も。
預かる子供の為にそれが当たり前であると考えているからです。
家庭で本当に向き合っていますか?
最近口を聞いてくれない、あまり話してくれない、何を考えているか分からない、
なんて言っていませんか?
どういう理由であれ、目の前の子供を今の形にしたのは大人なんですよ。与えた環境、環境の中での関わり方、考え方、対話の仕方、手の貸し方、我慢の仕方。その積み重ねが『今』なんですよ。
急に良くなったり悪くなったりしません。そう思うのは自身が『現象』しか見ていない証拠。中身、本質はそう簡単に変わるものではありません。
うちに来てから良くなった?悪くなった?
そんな評価をする以前に、自身の評価に目を向けてください。大人として正しい関わりをしていますか?出来ていますか?親として、大人として満点であると胸を張れますか?
それが出来ないならば、もうちょっと子供と寄り添って一緒に考えていただけませんか?悩んでいただけませんか?
年々求められている事がどうも腑に落ちない。
トレセンじゃないんです・・・
スタメンじゃないんです・・・
初心者なんです・・・・
問題ありません。
問題なのは、『だから・・・出来ない、しないを分かってください』って言い訳の手段にする事。
都合のいい所だけ『うちの子はあまり出来ない子なんです』をやめてください。
そうさせているのが自分であると自覚してください。
我々も対外試合に行けば同じ気持ちでやっています。他のチームに馬鹿にされれば自分の指導不足だと自覚しています。やらない子供のせいになんてしません。
出来る事をしないのは違います。サッカー知らないんで。。。じゃなく、少しでも勉強しようって思ってください。一番興味ある我が子がやろうと決めた事なんです。興味がないで済まさないでください。分かろうとしてください。
苦手だけど、分からないけど、
『でも・・・』
の部分を子供は観ています。感じています。
どういう子になってほしいですか?
その時の自分はどんな関わりをしていると思いますか?
どちらかだけが考える、では前へは進みません。
一緒に考えましょう。