日 時 平成29年5月19日(金)13時30分〜15時
応神天皇の母・神功皇后には朝鮮半島征服という勇ましい
伝承があります。
しかし夫の仲哀天皇は、今や架空の人物ではとされるヤマト
タケルを父とするため、その実在性そのものが問われている
人物です。
したがって、神功皇后自身もまた実在したのか否かも含めて
謎の多い人物と言えます。
そのように考えていきますと、神功皇后伝承とはそもそも何なのか、また朝鮮半島征服伝承とはいったい何を意味しているのか考えさせられてしまいます。
まず古事記・日本書紀の記述によれば、熊襲が反乱を起こしたので、仲哀天皇は妻である神功皇后と九州に赴き、これを討伐しようとします。
そこで皇后は神がかり、「熊襲は攻める価値がない。私を祀れば戦わずして金銀豊かな新羅国を従わせることができる。」との神託が下ります。
しかし天皇はこれを疑ったため死に、皇后は男装して新羅に渡り、これを服従させます。
この時皇后は臨月でしたが、出産を遅らせて、帰国してから九州で子(応神天皇)を産みます。
この事跡は、4世紀に倭と伽耶連合軍が新羅と戦ったことを重ねたもので、神功・応神の母子を前王朝に繋ぐために、架空の「仲哀」を挿入したのではないかとのことでした。