『街道をゆく 〜南蛮の道 Ⅰ・Ⅱ〜』

今年3月にパリ観光&スペイン巡礼に

行ったこともあって、

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく 〜南蛮の道 Ⅰ・Ⅱ〜』を読みました。

あぁ〜、めっちゃ面白かったです(^0^)!

司馬先生と、本当に南蛮のみちを

旅した気分になっていました。

司馬先生がお亡くなりになられて20年・・・

この『街道をゆく』が発行されたのは30年前です。

正に時空を超え、善き旅をさせていただきました(ー人ー)☆

以下、心に残った箇所や個人的感想です。

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「私のこの旅の目的は、ごく単純でしかない。

日本で、南蛮文化とか南蛮芸術、南蛮絵、南蛮鐔、

南蛮菓子とかいう『南蛮』とはなにかということを

この旅で感じたい、ということである。」

・・・日本の戦国時代。日本にキリスト教(カトリック)を齎した

布教師であるフランシスコ・ザビエル(1506〜1552)の生涯の軌跡を

パリからポルトガルまで辿りながら、『南蛮』というものを

探求するという感じです。

フランシスコ・ザビエルは「バスク人」なんだそうです。

一言でヨーロッパ人と言っても、いろんな人種がいるようです。

フランスとスペインの国境地帯にあるピレネー山脈界隈に、

昔から暮らす原住民族なのですが、

その近辺に存在するフランス人やスペイン人と違うところは

「バスク語」という言葉を持つということだけだそうです。

バスク語の面白いところは、

日本語や韓国語と文法がそっくりなんだそうです。

だから、幼少期は生活するために、

フランス語やスペイン語のみを話していたバスク人が、

成人になってからバスク語を勉強すると、

めちゃくちゃしんどいんやそうです。

だけど、バスク人という自負がある人達は、

少し少しでもバスク語が使えるようになることは自分を取り戻す感じ・

真の幸福を得る感じがするそうです。

バスク人は遠い祖先は、日本人と同じかも知れませんね(笑)。

地球は一つ。ほんと、歴史的大ロマンを感じます。

にしましても、私がスペイン巡礼路を歩いていた、

スペイン・ガリシア地方(ガリシア人)とバスク人は

ちょっと似ているのかとも思いますが、

その土地を愛し、風土&歴史を愛し、そして民族を愛してやまず、

その先祖代々の土地で自然体で淡々と生きてきたように感じます。

バスク人やガリシア人はきっと、

他人の生命や財産を搾取することなく、

自然サイクルの中の一部の人間として健気に生きて来た、

罪なき人たちなんだと感じました。

「『無敵艦隊(アルマダ)の敗北(1588)以来、

スペインという坂はくだりっぱなしです』と武部氏はいった。

無敵艦隊の成立にさきだつものは、スペイン・ポルトガルによる

大航海時代の現出という壮大な歴史であろう。

私どもの歴史にとっては南蛮文明の到来である。

その大航海時代の前に、ムーア人

(※イスラム教徒、それまでのおよそ数世紀の間スペインは

イスラム教徒に支配されていた)

が残した造船術、

航海術、さらには遠隔交易の伝統があったと見ねばならない。

ポルトガルを含むこのイベリア半島のひとびとによる大航海時代によって、

世界史は一変したといっていい。

スペインはアメリカ大陸を得、フィリピンを得、

新植民地で人類史上まれにみる殺戮と収奪をくりかえしつつ、

金銀その他高価な物品をとめどなくこの半島に持ち帰った。

スペイン王も貴族も教会も舶載されてくる富のために

血ぶくれするほどに豊かになった。

この全盛時代のスペインの国家経済ほどあらっぽいものはなかった。

国家そのものが、新植民地に対する一大強盗団になったといっていい。」

・・・「大航海時代」という言葉は、

小学校〜高校の世界史の時間で知りました。

が、歴史的事実はそんな美名とは真逆の、

「一大強盗団」の出現だったのです。

その後続く、イギリスの産業革命以降の欧米諸国による

世界各国の植民地支配も同罪であります。

私が歴史を学校で勉強していた時代は、

欧米諸国が世界経済を牛耳っていましたが(今もですが)、

2000年にクロスポイントを迎え、

西洋から東洋に全てが移動して来る時代に入りましたので、

どんどんと西洋の力が弱くなって参ります。

数々の殺戮と収奪の罪が、テロや移民・難民問題となって、

欧米諸国を足元から食い潰しているのでしょう。

過去の罪は、消えることなく、時空を超え、

その国にまた子孫に利子をつけて降って来るのです。

ここに自業自得の世界が在ります。

私は、今年3月にキリスト教(カトリック)の三代聖地である、

スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ教会に行きましたが、

その教会の美しさと、その教会の中で起こっていたであろう

罪の重さの両方を思いっきり感じて帰って来ました。

ですので、サンティアゴ・デ・コンポステーラ教会に

もう一度行きたいとは思っていません。

日本の四国遍路や熊野古道と違って、

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、

カトリック以外の人が歩いている割合は少ないと観ております。

それだけ、カトリックの教会組織は、

過去、多くの異教徒に不利益を与えて来た訳です。

決して、カトリックの教えが悪い訳ではありません。

その教えを悪用して、罪なき人々を殺戮し収奪をくりかえした事実が

存在するのであります。

これは誰にも否定出来ない、真実であります。

私はこの人類史上まれに見る大罪をあれこれ勉強中です。

ついでに、世界三大宗教の一つである、イスラム教もかじり始めました。

どうも日本にいると、イスラム教の悪口ばかり。

キリスト教のいいことばかり、報道されています。

これは日本が、アメリカ・イギリスの

『プレス・コード(そのコードにとって都合のいい情報しか流れないように

闇で支配されている)』に属してしまっているからだそうです。

「それ(異教徒の国を支配すること)は困難ではなく、

王は征服しようと思う国にまず宣教師を送りこむ、

そして住民の一部を改宗させるや否や、

次に軍隊を送りこみ、その軍隊は改宗者と合同して、

易々とその国を合同(※支配)したと。」

・・・織田信長は、カトリックの布教者たち

(フランシスコ・ザビエルの属するイエスズ会)を受け入れます。

が、豊臣秀吉は、カトリック布教を隠れ蓑にして、

日本人が奴隷として連れて行かれるということと、

日本自体が支配されるということに気づき、

これらの勢力全部を追い出します。

これが歴史的史実であります。

ここらへんの史実は、恐らく欧米国家に遠慮して、

歴史の教科書には記載されておらず、曖昧になっているようです。

それに続いて、徳川家康もカトリックを受け入れず鎖国するに至ります。

が、オランダに関してのみ、長崎の出島で貿易を許可します。

これは、同じキリスト教でもプロテスタントの国だったということで、

まぁ許可したようです。

ちなみに、カトリックの教会組織やローマ法王が腐り切っていたからこそ、

ルターの宗教改革、そしてカトリックから分離した

プロテスタントが登場したようです。

ちなに、現在比較的経済状況が高水準で安定している

ヨーロッパ諸国は全て、キリスト教であっても、

カトリック以外がメインの国家です。

逆にフランシシコ・ザビエルはイエスズ会の仲間と共に、

そんな斜陽状態となった、カトリックを守ろうとして、

敬虔なカトリックの宣教師として

自らの命を顧みず、未開の地へカトリックの布教に行く決意をし、

実践された訳ですが、結局カトリック教会組織のエライサンや

国家権力者に利用された形となってしまい、中国にて病死する。

・・・今回、この『街道をゆく』を読んでの全体的な感想ですが、

人々の様々な想念(善いことも悪いことも)が、

一人の人生という名の【一本の糸】を作り、

それが束になって文明や文化が出来、

やがて大河となって、

一つの大きな歴史の潮流が出来ていくということです。

従って、一つの事柄を【点】で観るのではなく、

【線・流れ】で観る、そして全体からの一部として観ることが、

物事(想念)の出処や本質を知るために

必要不可欠なんだと思われました。

物事は、常に本質を掴みながら、各部位を扱い、

そして対処しなければ、余計に迷宮入りするだけであり・・・

上辺だけ・その時だけしのげばいいとかでは、

永久に物事は解決しないどころか、

【因果応報の罪】が続く以上に下手すれば、

罪が深くなってしまいます。

さ、『南蛮のみち』は読み終わりましたので、

以前一度読破した司馬先生の歴史小説

『項羽と劉邦』を再度読み返し、

「真に人望あるリーダー像とは何か?」を

更に深く学びたいと思います(ー人ー)☆