コーチを始めて18年が経ちました。

未だに正解は見えていません。でも、この地域で育ち、この地域の子供達と繋がっていく事で色々見えてきました。自分のやりたい事、やろうとしている事、子供達がやりたい事、それぞれを照らし合わせながら一番良い形を作っていきたい・・・そう考えています。人の思いって言葉で伝えるのがコミュニケーションというものですが、その言葉には『口先だけ』のものと『心のこもった』ものがあります。

昨日の練習では、自分も一緒に動いて3年生を送り出したい!そういう気持ちでグランドに行きました。ですが『心のない選手』のおかげで対話にほとんどの時間を割かずにはいられなくなりました。対話をしていても心のない返事を繰り返す。その場だけを凌ごうとする。18年もコーチをやっていれば本心かどうか?ぐらいすぐに分かります。

自分の為なのか?コーチに怒られないようにする為なのか?分かります。

自分は『嘘つき』と『卑怯な人間』が好きにはなれません。大切な仲間を平気で裏切れるような感覚は許せません。知らないフリして、誤魔化して、その場だけを凌ごうとする考え方をすれば3年生になっても仲間の一員になれないままで終わる事にもなります。

年数の話ではないからです。

気付きの問題です。

自分の事しか考えていない、自身の損得勘定でしか動けない人間には気付かない事です。その行動を繰り返すと周りには信頼や繋がれる仲間が一人もいないという事になるだけです。それを分かっていつも子供達には話をしているのですが、結局は自分の都合で仲間に向き合えない後ろめたい行動を自分に負けて行うのです。それも経験です。でも、繰り返せばそれすらも『当たり前』になるのが人間。平気で裏切れる人間になる。悪いとも思わなくなる。それが嫌で、『常識』を教えます。

そんな中、今日はサッカーノートの返事をしました。

強制ではない、という言葉を付ければほとんど出さない選手がいます。

分かりますよね?最後にスタメンになっていない、チームを救えない人間はほとんど出していません。そして、出しても毎回のように『誤字・脱字』があります。訂正しても知らんぷりをします。関係ないと思いますか?たかがノートだと思っていますか?そう思っているならそれで良いですが『我が子が良い思いを出来ないのはそれだけの理由』がある事をもっと保護者の方々も理解してほしいと思います。

うちの子なりにがんばっています???どこを基準にするのですか???

ずっとうちの子が基準になれば、当然がんばったと思う事も多いでしょう・・・。ですが、その都合に合わせて先日のような人に感動を与えられる試合が出来ますか?そうなってほしい・・・あんな試合をしてほしい・・・。言うのは簡単です。

簡単に出来ないのは、3年生の、あのピッチに立っていた選手のノートを是非読んでほしいのです。みんな本当に苦しい、悔しい思いを持って活動を続け、それでも諦めない、辞めない、止まらない、下を向かない強い気持ちの成果が人に感動を与えたのです。自分の都合ですぐに下を向いて、都合が悪くなったら『どうせ俺は、どうせうちの子は・・・』って言葉を発する。先日の大会では納得のいく形で終われた3年生の一部のメンバーはコーチに一番厳しい言葉を浴びせられ、それでも向き合ってくれた子供達です。悲観的な人間は、いつも『何で自分ばっかり・・・』って捉える。もっと厳しい言葉を言われたり、もっと厳しい要求されている子が隣にいても気付かない自分の狭い狭い価値観の中でそう思うのです。

3年生のノートに涙しました。

こんなに人間は成長するものなんだ、と。親への感謝、周りへの感謝。大切なものが見える人間になりました。心のある言葉は響きます。

心と心を向き合わせ、ぶつけあった日がこうして報われたと思うと本当に良かったと思う反面、ぶつけあう事からも逃げて、常に自分が被害者のような態度、表情を見せる選手もいる現状に納得いかない日々が続きます。

自分は最後だけ綺麗な言葉をもらいたいなんて微塵も思っていません。感謝の言葉をください、とも思っていません。でも、感謝の心を持つ事は大事であると思っています。大切な事を、心を持って伝えているのに『怒られている』としか捉えられない自分中心の考え方しか出来ない子。

心は誤魔化せない。
心は伝わる。

昨日の練習と今日のノート。それが改めて痛感させられた。

卑怯な人間にだけはならないように!!

選手に伝えた言葉。

本当に今、みんなはお互いの顔を見ながら話せますか?

自分の生き方に自信を持てないで、見ている人に感動など与える事は出来ませんよ。3年生を越えたいのでしょう?だったら後ろめたい自分を変えなさい!!

成長に終わりはありませn。引退していく3年生も、これから続く1,2年生も同じ。

心を、自分を、ずっとずっと磨き続けましょう!!