「ヴェルデ・リーガたより」第8号
発行:2009(平成21)年1月8日
●さらなる飛躍の年にしよう
 あけましておめでとうございます
 昨年はたすけあい部会「ほほえみサロン」でのコンサート(6月11日)とフローラ・アンサンブルとのジョイントコンサート(7月21日)を経験し、飛躍のための一つの節目を乗り越えた年であったと思います。これは団員皆さんの努力と団結の力が実を結んだ成果であります。ありがとうございました。
 より充実したヴェルデ・リーガにするための課題も見えてきたように思います。例えば、①ジョイントコンサートなどの運営、共催相手から学ぶべきものは、②我々の曲の仕上がり具合はどうであったか、③日頃の練習についての課題や提案、④運営面では、団員の参画意識を高めるための方策など。
 これらの課題について、これからも皆さんとともに考え、よりよい合唱団を目指して努力して行きましょう。

(写真)引作の大クス・三重県南牟婁郡御浜町引作—->
●ヴェルデサロン(団員の自由ページ)
・「幼児の頃の音楽との出会い」
 バス 野村 匡
 ♪天に代わりて不義を討つ 忠勇無双の我が兵は 歓呼の声に送られて いまぞ出でたつ 父母の国 勝たずば生きて帰らじと 誓う心の勇ましさ・・・♪ この勇ましい歌に送られて、毎日街のどこかで軍隊へ召集される若者への送別のバンザイが響き渡っていた。僕の小学6年生の頃だった。
 音楽の時間は、1時間のうち半分が音感訓練である。この音感訓練は、当時の文部省からの指示で全国の小学校で強制的に実施されていた。それはド・ミ・ソやファ・ラ・レの鍵盤を同時に叩いて、それを当てさせるという単純なものだった。
 目的は、潜水艦に乗って敵艦のスクリュー音から、航空母艦か戦艦か、あるいは輸送船かの区別を聞き分ける能力を養うには、小学校から行うのが効果があると考えられていた。6年生のクラスで、その音感能力がとりわけ優れていた者が一人いて、いつも先生から褒められていた。
 音楽の期末試験は音感テストだけだった。全部で30問。段階的に10問ずつ難易度が高くなっていた。試験が終わって初めての音楽の時間。野村君って誰だっけ、と先生が聞いたので手をあげると、ちょっとテストするからと、矢継ぎ早に20回ほど答えさせられた。
 なんで? といぶかる僕に先生から、テストの結果を知らされた。30問のうち、10点、10点、5点。例の優れ者は、10点、10点、8点。二人とも学校の代表として海軍水雷学校を受験することに決まった。家に帰って父母に話すと、名誉なことだと大喜び。当時はそんな時代だった。

(写真)三惠の大ケヤキ・山梨県中巨摩郡若草町寺部今井前–>
 たちまち数ヵ月後に入学試験の日が来た。僕は父に連れられ、歩哨の立ついかめしい海軍水雷学校の門をくぐった。全国の小学校から選ばれた100人ほどの6年生が集められ、例の音感テストが実施された。いつも学校でするテストより判り易かったのを覚えている。
 午前中のテストで80人ほどが落とされたが、僕たちは残った。午後は身体検査。これが僕にとっては運命的だった。当時の僕は神経質で内気、栄養は要注意の生徒。身長はともかくとしても、胸囲、体重とも不合格。2度も計られたが、試験官に「しっかり食べて、来年もう一度受けに来い」と言われたのを今でも思い出す。一方の彼は晴れて合格。一緒にいた母親は喜びの涙を流していた。
 卒業してから初めての同窓会。みんなそれぞれ進学した学校の制服着た中で、彼は凛々しい海軍の制帽、制服姿でほかを圧倒していた。僕はちょっぴり口惜しかった。しかし、ああ何という運命の糸なのか。彼は6年後の戦争末期、10代の命を潜水艦とともに海底に散った。もし、僕も試験に受かっていたら、同じような運命が待ち受けていただろう。

(写真)赤塚諏訪神社のコブケヤキ・東京都板橋区大門—>
・「私と音楽」
 ソプラノ 水村比汀子
 昨年の5月吉日、小学校高学年のクラス同窓会が40数年ぶりにありました。待ち合わせ場所に近づくと、小さなグループが数か所できていました。大人になってからは顔を合わせた人はいないのに、すぐに私のことが分かったようで、「○○さんね!」、「いつも歌ってたね!」「そうそう!」などと声を掛けられました。
 当時、母がよく鼻歌を口ずさんでいたので゛、私もいつの間にか覚えた歌を教室でも大きな声で歌っていたことが思い出されました。私の歌好きは当時、仲間の間では有名だったそうです。そんな話題がたくさんあって、楽しいひと時を過ごしました。
 最近まで歌を忘れた「ガナリア」状態が長く続き、原稿を頼まれても何を書いてよいのか分かりませんでした。ある日、そのことを夫に話したところ、「一万人の第九コーラスに何年も通っていたことや、市民合唱団の第九に娘と一緒にチャレンジしたこともあったよね」と話してくれました。これが原稿を書くきっかけとなって、コーラスを楽しんでいた当時のことがよみがえってきました。
 現在大正11年生まれの母も、ある地方の混声合唱団で頑張っています。また、娘もママさんコーラスで歌っています。時々「今何を歌っているの」、「楽譜見せてね」など、共通の話題があることを幸せに感じています。そして、「ヴェルデ・リーガで歌える」ことにも感謝しています。これからもよろしくお願い致します。