紛争地から見えてくるもの ジャーナリスト玉本英子さんに聞く(1)

川西市男女共同参画センターのnewsletter
HOPP vol.14の記事。
紙面には載せられなかったエピソードも含めて
ロングバージョンでご紹介します。

紛争地から見えてくるもの 〜被害者が加害者になる構図〜

玉本英子(たまもとえいこ)さん 映像ジャーナリスト

2017年11月、映像ジャーナリストの玉本英子さんを迎えて、トークイベントと写真展を開催しました。玉本さんは、過激派組織「イスラム国(IS)」占領下のイラクを長年にわたり取材され、人々の日常の暮らしが破壊される現状や、紛争に共通する構図などを伝えておられます。
20年間、紛争の現場に通い続ける玉本さんに、マスコミ報道では知ることができないイラクの現状やご自身がジャーナリストになったきっかけ、生き方などについてお聞きしました。

ーーどんなお子さんでしたか?

親が転勤族で小学校だけで4回変わっています。だからコミュニケーションスキルはあるんですよ。新しい学校に行ったら、友達を最初からつくらなくてはいけないし、授業の内容も全然違う。イジメもある。福岡から東京へ引っ越した時は「いなかもん」、東京から大阪へ引っ越したら「ええかっこしい」と言われる。

当時はクラスメイトと対等になるために「ちゃんとやらなきゃ」「友達いっぱいつくる」という気持ちがありましたね。自分から積極的に話しかけて、最後にはクラスでも人気者になるぞ、みたいな。

◆OLからジャーナリストへ

絵が好きだったので、大学卒業後に新大阪のデザイン事務所に入り、パンやケーキのポスターを作っていました。1990年代、バブルの終わり頃です。
ある日、ドイツで一人の男性が自分の体にガソリンをかぶり、機動隊に突っ込むというニュース映像を見たんです。こんな楽しい時代に自分の体に火をつけるなんて、とびっくりして。彼はトルコ出身のクルド人で、故郷でクルド住民が抑圧されていることに抗議しての行動でした。彼らのことが気になって、半年後にヨーロッパに行きました。

ーー直接現地に行ったのですね。

当時はインターネットなどなく、知りたいことは現地で聞くしかない時代でした。オランダのクルド人が集まるカフェに通っていたある日、テレビで見たあの男性と偶然出会ったのです。私が「なぜあんなことをしたのですか」と聞くと、彼は「自分と同じ経験をしたら君も同じことをするよ」と言いました。肌はピンク色にむけ、鋭い目、細い体で握手したら手が冷たくて。私も同じことをするかもしれないその理由を知るために、現地へ行かなくてはと思いました。
 その後、彼の故郷のトルコを訪れました。クルドゲリラとトルコ軍が戦闘を展開していて、クルド人は拷問などの弾圧を受けていました。こうした現実を目の当たりにして「広く伝えるべきだ」と思い、私は記者になろうと考え始めたのです。

撮影のイロハや記事の書き方を学び、自分の視点を見極めるためにすごく勉強しました。現地でカメラを回して取材し、帰国したらメディアに提案する。発表できれば報酬につながりますが、取材費用は今もすべて持ち出しです。数年前まではアルバイトをしてやりくりしていました。

ヤズディ教徒の結婚式で。新郎新婦を祝福し、村の住民が集まった。男も女も手をつなぎ、歌にあわせて踊る。(2012)

(2)に続く