久しぶりに電車を使って奈良に行きました。
奈良を代表する近鉄奈良駅の駅前広場に
「行基菩薩像」があることを今更ながら知りました(恥)。
駅前広場=その土地土地をかつて治めていた
戦国武将の像というイメージが強いですが、
奈良はずっと都(天領)だった為、
そんな雄々しき銅像はなく、
武士ではなく僧侶であることがいかにも
古都・奈良らしいと感じました。
私たち日本国の原点である、
この“大和国”の玄関口に敢えてこの行基上人の像が
建てられているその意味はやはり、
我々民衆が今も昔も感じる
【真の仏教の先駆&実践者】であられたからだと思います。
行基上人(668〜749)が
生きた時代から1300年程経ちますが、
この像を眺めておりますと、
今も変わることなく、
我々子々孫々の現状を憂え悲しみ、
そして行く末の幸福を念じて下さっている・・・
その慈愛の心をひしひしと感じます。
そして眞の宗教者・人間としての生き様を、
死んだ後もずっと我々後進に静かに
そして勁く示して下さっている、
その【気魄】が物凄いと感じました。
肉体は死んで滅んで見えなくなっただけで、
人間の想い【念】というものは今でも、
時代の“残り香”として、どこかに存在し続けていて、
それがどこからともなく漂い、
生きる者の心に染み入り、
陰に影響を与え続けております。
「一人ひとりに与えられた使命役割や
その物事を完成させる為のプロセス(=やり方)は
千差万別であるからして、
其れに長い議論の必要無し。
たった一つの真実【あり方・あるべき姿】を皆で議論し、
皆それに心合わせ一致団結し、
そしてそれぞれに進めばよい。
其れが眞の和、【大和の姿】である」。
・・・そんな感じで、行基上人(天)を想ふと、
いろんなことを教えて下さいます。
師というものは、眞の心から求めれば与えられるものだと、
実感いたしております(ー人ー)☆
【行基上人 参考ホームページ】