遅くなりました。
2月2日(金)レンタカーを借りて
仙台から岩手県陸前高田市に行って来たことを
ご報告させて頂きます。
あの東日本大震災からもうすぐ7年です。
震災直後は日本全体が【国難】という名の下に、
ぎゅ!と一つにまとまり、
復興へと歩を進めておりました。
が、被災地から1000キロ程離れている大阪におりますと、
被災地は今どうなっているのか?
情報があまり入らなくなっています。
![](/img/u43837/FI3998925_0E.jpg)
震災ボランティアとして2回、
東北に入ってから5年後の今、
この目で被災地をまた観てみたいと思いました。
それが日本人としてのあり方を見出す上で、
非常に重要だと感じたからです。
事前に地元図書館で借りた何年か前の『るるぶ』に
陸前高田の仮設商店街「未来商店街」が特集されており、
そこで昼食を取るべく、
仙台から東北自動車道(内陸側)経由で
陸前高田に入りました。
実際そこに行ってみると、
すでに半数程の店舗は何らかの理由で空になっていました。
その中で何だかパワーある営業をされていた、
「鶴亀鮨」に入ってみることにしました。
始めは、普通のお寿司屋さんかと思っていましたが、
箸入れや店内が何だか、
【陸前高田愛】がものすごい。。。
![](/img/u43837/FI3998925_1E.jpg)
帰り際「どこからお越しになられましたか?」と聞かれ、
「大阪です」と答えてから一気に流れが急展開し、
「おねーちゃん、コーヒー飲んでいって〜(^0^)!」
「写真撮りましょう〜!郵送します〜(^0^)!」などなど、
結局2時間おりました(笑)。
写真なんか凄いんですョ〜!
【愛のナイアガラ】という名の、
紙テープをピラピラ〜させ、
そしてまた地道に巻き直して再利用されるんです(笑)♪
![](/img/u43837/FI3998925_2E.jpg)
鶴亀鮨の大将(店長)は、
大阪の黒門市場で20年間修業されておられたそうで、
「大阪弁がなつかしい、なつかしい!」と
おっしゃっていました。
そんな明るい、明る過ぎる&キャラクターの濃い大将・・・
陸前高田の震災の語り部として、
お店に来た人から出張に行ってまで
あっちこっちでご自身の被災体験を
お話しされているそうです
(帰り際、大将・作の小冊子やテレビ岩手の映像なども
頂戴いたしました)。
そんな大将ですが、全てを津波で流され、
12メートルのかさ上げ工事で全く新しい街が
出来つつある陸前高田で商いを続ける・
生きていくことの不安を抱き、
未だに夜眠れないことも多いんだそうです。
![](/img/u43837/FI3998925_3E.jpg)
ほんと、今のかさ上げ工事真っ最中の
陸前高田の状態を観ますと、あの震災はまだ終わってないし、
まだ真の再建・復興も始まっていない気がしてなりません。。。
行政の施策は海沿いに堤防を作ったり、
土地をかさ上げをし、新しい街をゼロから作り、
そこに住民を呼び戻すというハード重視なのですが、
実際この津波にやられた地域のおよそ
10分の1は亡くなられており、
またおよそ10分の1は既に他の街に引っ越しされ・・・
残りの人たちも実際このかさ上げ地に
戻って来るかが不透明であります。
およそ半分のかさ上げ地の使用用途が未だ決まっていない・・・
このまま行けば、不毛の大地となってしまう訳です。
一度無くなった街を短期間で元に戻すということの無謀さ、
難しさをひしひしを感じつつ、
住民の方々一人ひとりの心(ハート)に寄り添った、
行政施策(サポート)が行き届いていないと感じました。
個人レベル(自己努力だけ)では到底
解決出来ないことが未だこの被災地で
起こり続けているということです。
そんな大自然の猛威に対するある種の
恐怖や絶望感を感じつつも、
陸前高田の復興を応援する方々に元気を頂き、
感謝されながら「うったづぞ(=方言で『立ち上がるぞ』」と、
お店の再建、陸前高田の復興にご尽力されておられます。
私に出来ることは、こうやって、
自分が体験したこと・感じたことをみなさんに
お伝えさせて頂くこと、
一日も早い被災地復興&被災された方々の
ご多幸をお祈りさせて頂くこと、
そして、被災地の方々の応援の意味同時に
自分自身のために、
今後も被災地にお伺いさせて頂くことかなと感じました。。。
目の前のこと、自分の生活環境のことだけではなく、
普段は観得ない方々・万象を観、
未来全体を少しでもよりよくして
参りたいと感じました。
善き出会い・気づきをありがとうございました。
![](/img/u43837/FI3998925_4E.jpg)