日 時 平成30年5月17日(木)13時30分〜15時
百人一首の歌人の中で、平安王朝文化の初期に皇族出身の
貴族として生きた二人の偉人の紹介がありました。
一人は嵯峨天皇の皇子として生まれ、左大臣の位にまで登り
つめ、源氏物語の主人公・光源氏のモデルの一人とも言われて
いる河原左大臣(源融)です。
彼の和歌は、「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れ染にし
われならなくに」(東北・福島にあるしのぶの里の名産・もぢずり
<染付>のように、私の心がこんなに乱れるのは他でもないあなたゆえですよ。)です。
彼は臣籍降下して源姓を賜り、50才で左大臣、65才で従1位となり、死後に正1位を贈られた無類の風流人で、特に屋敷や庭園つくりに力を入れられました。
今一人は平城天皇の第1皇子の阿保親王の子息で、まじめな官僚の道を歩んだ在原行平です。
その詠まれた歌は、「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かえり来む」(今二人はわかれ、いなばの国<鳥取>へ行くが、そこの松ではないが、あなたが待っていると聞けば、私はすぐに帰ってくるよ。)です。
なお彼は文徳天皇の時に何か不都合な事件があり、須磨に蟄居を余儀なくされ、この時に海女に心をひかれたという話しが伝わっており、これが松風・村雨という汐汲みの姉妹との恋物語に発展したのだと言われています。