日 時 平成30年6月20日(水)11時〜12時30分
江戸時代末期に起こった薩摩藩のお家騒動です。
薩摩藩・島津家は、平安末期に源頼朝が平家を屋島・壇ノ浦の
戦いで滅亡させ、上京していた時に側室・丹後局(企比家の娘)に
大阪の住吉大社境内で産ませた忠久が初代だと言われています。
(他に諸説があります。)
頼朝は正室・政子(北条家の娘)に気を使ったのか、忠久を遠い
九州・南部の守護大名にいたしました。
その後、安土桃山時代には秀吉の九州討伐時にも、また関ケ原の合戦で石田三成側について敗戦した時にも、これをうまく乗り切り江戸時代末期まで存続いたしました。
主人公のお由羅は薩摩藩江戸屋敷に奉公していた女中(大工または八百屋の娘)でしたが、人一倍気がきくことが当時の藩主・斉興に認められて男子を生みました。(後の久光)
ただ、この頃は正室が江戸に住むのが幕府の定めで、側室となったお由羅は国元・薩摩で暮すことになりました。
そこでお由羅は自分の生んだ久光が将来藩主になるかも知れないと思い、派閥づくりをはじめ、反お由羅派の人々を斉興に直訴して粛清していきました。
この頃薩摩藩は借金を返済するため密輸をしていましたが、長男・斉彬が内部告発し、結局お由羅・久光にはお咎めがなかったものの斉興が退陣して斉彬が藩主となり決着しました。(幕府との出来レース?)