行動経済学と老前整理 ⑧

今日も猛暑日の大阪。昨夜は美しい十五夜でした、そして今夜は満月。最近、夜空を見上げたことありますか。

だんだん話が明後日の方向にいってしまうので、軌道修正をして行動経済学の話に戻しましょう。

私は行動経済学の本を読んで、キーパーソンは3人だと思いました。

★1人目、ダニエル・カーネマン イスラエル生まれの認知心理学者プリンストン大学。2002年にノーベル経済学賞を受賞。

★2人目、エイモス・トヴェルスキー イスラエル生まれの認知心理学者。カーネマンと長年共同研究をしていた。(1996年59歳で早世)

★3人目、リチャード・セイラ— 行動経済学者、2017年ノーベル経済学賞受賞。

カーネマンとトヴェルスキーが経済学者でなく、心理学者だったから行動経済学が生まれたのでしょう。

私が行動経済学の本を読み始めた時、全貌がわからなかった話を書きました。

なぜかといえば、当時の行動経済学の本は研究者が著していたので、論文を一般向けにわかりやすく書き直したもの。つまり、プロスペクト理論や保有効果といった各理論について書かれていました。研究者にすれば、行動経済学が生まれた背景は当たり前すぎて、あまり書かれてなかったからでしょうか。
(読み取る力が私になかったともいえる)

これを、「忠臣蔵」の討ち入りの話で例えると。忠臣蔵は四十七士の仇討話で、討ち入りのきっかけは、藩主が江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こしたことです。ご存知ですよね。誰かと話をするときに、わざわざきっかけはこの松の廊下でと説明しなくても、お互い了解している。
(これは例えが適切でなかったかな? わからない方はスルーしてください)

とにかく、誰によって、なぜ行動経済学が生まれたのか、私にはよくわかっていませんでした。

遅まきながら歴史というか、流れがわかったのは2016年、3人目の男、リチャード・セイラ—の『行動経済学の逆襲』(早川書房)を読んでからです。(本が出た当時はまだノーベル経済学賞を受賞していなかった)

この本のことはまた改めて書きますが、これによって、行動経済学がどのように生まれたかがわかりました。

現在では、2017年出版のマイケル・ルイス『マイケル・ルイス かくて行動経済学は生まれけり』(文藝春秋)を読むほうがわかりやすいと思います。これを読むと、第3者の作家の目と、当事者の目では見方が違うこともわかり面白いです。

私見ですが、3人のことを簡単にまとめれば、行動経済学の「種」を見つけたのはトヴェルスキーで、トヴェルスキーと協力して苗を作り、育て大きくしたのがカーネマン。(トヴェルスキーが研究半ばで亡くなったので)二人の周りで研究を手伝いながら、この木に適した土はどれかと泥だらけ傷だらけになって試し、根を張らせたのがセイラー。(と私は思っています)

今日はこれまで。

[お知らせ] 8月28日(火)NHKテレビ 4:45〜 「ニュース シブ5時」に坂岡出演予定です。

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