「皇居勤労奉仕」

若干の体調不調&各活動ドタバタにより、

ご報告遅くなりましたが(ー人ー)☆

9月3日(月)〜7日(金)まで東京に行っておりました。

「皇居勤労奉仕(こうきょきんろうほうし)」という、

日本人として一生に一度あるかないかの

大変貴重&幸運な機会に恵まれましたので、

たっぷりと私のこの経験をみなさまにお伝えすると共に、

私の今後の人生の財産として、

自らの記憶にしっかり刻み込む為に、ここに記させて頂きます。

以前より私のような一般人が

天皇皇后両陛下と直接間近でお会い出来るのは

“皇居勤労奉仕”しかない!とアドバイスを頂いており、

そのチャンスを数年間、ずっと探っていた中、

世直し活動の同士・森口孝さんのご紹介にて今回

「青垣奉仕団」という名称の

橿原神宮 http://www.kashiharajingu.or.jp/

三輪大社 http://oomiwa.or.jp/

春日大社 http://www.kasugataisha.or.jp/

廣瀬神社 http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/01jinja/02west_area/hirosejinja/

上記四社が構成する、「奈良県神道青年会」が主催する

皇居勤労奉仕団に入らせて頂きました。

さすが平成という元号が、今年で最後ということもあり、

応募多数のようでした(既に半年先まで予約でいっぱいとのこと!)が、

この青垣青年団は由緒ある神社で構成された団で

しかも今回で12回目ということで、宮内庁の信用信頼が厚く、

第一希望通りの日程で奉仕をさせて頂くことが出来たようです。

また皇居内の清掃箇所に関しても、

比較的重要度の高い場所(セキュリティが厳しい場所)を

宮内庁担当者からお願いされていたそうです。

なお今回私たちの団は38名で参加させて頂き、

神職の方&神社関係者の方を始め、

私のような一般人まで老若男女が綺麗に揃っていました。

奉仕の服装は他の団と違い、自由ではなく、

「白ないし、白に準ずる色」と指定されていましたので、

私は四国遍路の白衣を着用させて頂きました。

今どき、そんな全員がお揃いのしかも

真っ白な服装でやって来る団体は珍しいようで・・・

青やピンクのジェケットを団員全員が

羽織っている団体はおりましたが、

やっぱり白装束は純白な精神を現すものであり、

非常に清らかで“ちゃんとした”団体であるという証であって、

改めて、その白の魅力を感じた次第です。

【皇居勤労奉仕とは? 宮内庁公式ホームページ↓】

http://www.kunaicho.go.jp/event/kinrohoshi.html

実際の皇居勤労奉仕は

4日(火)〜7日(金)の4日間でした。

3日(月)は新大阪発11時20分の新幹線に乗り

車内で昼食をとって午後、東京に着き、

貸し切りバスで東京駅から

靖国神社(https://www.yasukuni.or.jp/ 右上写真)へ。

“正式参拝”をさせて頂き、遊就館にも入らせて頂きました。

我々日本人が靖国神社に参拝に行く

=二度とあのような悲惨な戦争をしないと、

祀られている御霊に誓いを立てに行く行為にも拘らず、

ごくごく一部の国家の権力者達は、

「やつら日本人は、またアホな戦争を仕掛ける為に行ってる!」と、

私たちの真意とは真逆のことを

世界中に“プロパガンダ”しているのが

非常に残念なことだと感じております。

が、【天】という存在は、

真実を欺き虚実を蔓延らせる、罪ある人間を

もう黙って観てられない時代へと既に入っておりますので、

(=地球自体の次元が急速に上がっておりますので)

虚実を持つ罪深い人間は天によって自然と裁かれるのであるがゆえに、

それにどうこうと感情的になることもなく、

我々日本・大和民族は平和民族として

粛々と自他の平和に貢献して行かなければならないと、

靖国の御霊にお誓いした次第でございます。

なお靖国には、

戦中(昭和20年7月12日)、中国・長沙の病院で死んだ

軍需工場で働いていた、私の母方の祖父も入っております。

亡き祖父のためにも、二度とあのような愚かな

戦争を繰り返さないとお誓い申し上げて参りました。

宿泊は東京・上野にある「水月ホテル鴎外荘」で、

ここで4泊させていただきました。

翌朝からはホテル〜皇居間、そして東京駅まで

ずっと貸し切りバスでの移動でしたので、

殆ど東京の雑踏の中に出ることなく、

どことなく浮世離れした・・・神々に護られた、

清らかな極楽浄土にいるような心境でした。

翌・4日(火)。皇居勤労奉仕初日。

ホテルからバスにて直接皇居まで移動します。

ホテルから真っ白な服を着て行きます。

こんな集団が電車の中にゾロゾロいたら

と〜っても怪しいですよね(笑)♪

コピー厳禁の身分証明書を門番(皇宮警察)に見せて、

皇居東側にある桔梗門から徒歩にて中に入り、

数百メートル程、歩いたところに

「窓明館」という名前の収容人数300人程度の

休憩所に入りました。

そこで宮内庁の方々のお話を聞いたり、

昼食を食べたり、荷物を預けたりしました。

なお、勤労奉仕中は写真撮影厳禁でしたので、

桔梗門外での写真と、特別に記念撮影してくださった

二枚の集合写真

(皇居・二重橋と、赤坂御用地・園遊会会場の庭。右上写真)

しかありません。

4日の午前中は、時々小雨が降る中、宮内庁の方に、

皇居の北東側にある、江戸城跡を中心とするエリアを

案内して頂きました。

昼食を食べながら窓明館のテレビを見てますと、

台風21号により大阪・関西で

とんでもない起こっていると知りました。

午後は東京でも雨が降って来ましたので、

勤労奉仕は中止となりました。

14時半頃に宿泊ホテルに戻り、

テレビを見ながら、あれこれこなし、

ツインルームで同じ部屋だった、

三輪大社で元々巫女さんをされていて、

今は事務をされているおねえさん

(と言っても私よりも5つくらい年下)を始め、

参加者のみなさんとあれこれお話しさせていただきました。

なんせ、紹介者の森口さん以外

全員知らない人ばかり・・・

完全アウェイ状態でしたので、

最初は、どないしたもんかと緊張していましたが、

さすが、参加費10万円出し、4泊5日の日程を

昨年末から空けていた高尚且つ信心深い方ばかりだけあり、

すぐ打ち解けることが出来ました。

二日目・5日(水)朝5時過ぎ。微震で目覚めました。

東京は震度2程度。茨城県沖で最大震度4の地震がありました。

最近はLINEという便利なツールがあり、

我が大橋家の台風被害の状況はリアルタイムで分かり、

おかげさまでほぼ被害もなく、

安心して奉仕活動を継続出来ました。

が、テレビで映し出されていた

普段大阪の生活で頻繁に通っている・使っている場所が

とんでもない状態になっていることに、

ただただ心を痛めており、一日も早い復興を、

皇居にて猛烈にお祈りしておりました。

この日は終日、皇居より少し西側にある

「赤坂御用地」での奉仕活動でした。

午前中は、赤坂御用地をいっぱい歩きながら、

(※とにかく、皇居勤労奉仕ではよく歩きます。

最大一日14000歩、歩きました!)

宮内庁の方に、あれこれ案内をして頂きました。

ここには、天皇皇后両陛下以外の

皇族の方々のお住まいがあり、

またその真ん中には大きな庭園があり、

そこが毎年春と秋行われる「園遊会」の

会場となっているとのことです。

普段、テレビでしか見れない素晴らしい場所を

ゆっくり散策出来て、ほんと至極の時間でした。。。

昼食前、皇太子殿下との「ご会釈」があり、

赤坂御用地の西門入ったところにある休憩所から、

東宮御所まで歩き、

そこで皇太子殿下とお会い(ご会釈)させていただきました。

「ご会釈」の方法ですが・・・

私たち以外にも5〜6つくらい、

10数名〜30数名の奉仕団が同じ時期に来ておられ、

その方々が4列になって、ご会釈する部屋に並び、

各団の団長さんだけが、一歩前に出て、

皇太子殿下や天皇皇后両陛下と

お話が出来るようになっています。

皇太子殿下が入って来られ、

入口近い団の団長さんの前に立たれます。

全員で一礼した後、

その団の団長さんが、団の名称と、都道府県名、

そして始めて参加の団の場合は

「はじめての参加です」などと言うことになっています。

その次に、皇太子殿下が何らかの質問をされたら、

その質問の回答のみを簡潔に団長さんが答えます。

それ以外の発言は厳禁です。

その答えが終わりましたら、

皇太子殿下が「お元気で〜」なとどおっしゃるので、

最後全員で一礼して終わりとなります。

それが団の数だけ繰り返されます。

全部の団が終わると、皇太子殿下は、

その部屋の中央奥に移動され、それと同時に、

団長さんたちが、皇太子殿下の前に一列に並びます。

で、団長さんの中で一人「掛け声」を出すリーダーを

事前に決めておいて、

そのリーダーが、「皇太子殿下 万歳〜!」と両手を上げて言います。

それに続いて私たち全員が三回、「万歳〜!」と三回言って、

最後、一礼して皇太子殿下が去られました。

(この流れは天皇皇后両陛下とのご会釈の時も同じです)

・・・とまあ、言葉でその時のやったことをお伝えすれば、

あっけなくてシンプルですが、皇太子殿下。。。

すでに神々しかったです。。。

次期天皇陛下にお会い出来、うれしかったです。。。

その嬉しさ・感動をかみしめて昼食後、

休憩所近くの、菊などの皇居内に飾る

お花を育てている場所で数時間、

草抜きをさせて頂きました。

二日目の午後でようやく

皇居勤労奉仕らしいことをさせて頂き、

みなさんハリキッテおられました。

3日目・6日(木)。

今度はまた皇居の窓明館からスタートしました。

大阪・関西の台風被害のニュースが一転、

北海道地震のニュースばかりがテレビで流れて来て、

何とも言えない複雑な気持ちになりました。

それぞれ500キロ程度離れている地で起こっている

二つの大きな自然災害に想いを馳せながら、

ただただ早期復興・被災者の皆様の安寧を

ご祈念しておりました。。。

午前中は天皇皇后両陛下が

お住まいになられている皇居西側・

吹上御所界隈をご案内頂きました。

清々しくとっても神聖な場所だと感じました。

これが東京・大都会のど真ん中だとは思えない雰囲気でした。

昭和天皇のご意向で、全く手付かずの自然な森が

広がっているとのことでした。

いつも宮殿で飾られている

大きな五葉松の盆栽を始めとする、

大小様々な盆栽も見せていただきました↓

http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/bonsai-ph.html

皇居内には「大道庭園」と呼ばれる盆栽仕立て場があり、

そこを見学させていただきました。

で、午前中の終わりと、午後は、

ちょうど昨日・12日(水)天皇陛下が稲刈りをされた、

「生物化学研究所」内にある田んぼの中と周りの草抜きをさせて頂きました↓

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35276590S8A910C1CR8000/

ここもよくテレビで見る場所なので、

「ここかぁ〜(^0^)!」と感謝感激に思いながら、

せっせと草抜きをさせていただきました。

ちなみに、稲の種類はうるち米のニホンマサリと、

もち米のマンゲツモチが植えられていて、

この他にも陸稲(おかぼ)や粟、

そして桑(蚕に食べさせる葉)が植えられていました。

皇后・美智子さまが皇居内「紅葉山御養蚕所」で

ご養蚕されているお姿が、テレビで時々流れておりますよね♪

そして4日目・最終日の7日(金)。

この日も朝から皇居内の見学から始まりました。

今度は宮殿(http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kyuden-ph.html)、

そして

宮中三殿(http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi.html

がメインでした。

毎年正月と天皇誕生日でテレビで映る

一般参賀の広場を始め、宮殿の中の庭園や、

二つの大きな亀の形をした刈り込み庭園などなど、

表と裏から見させて頂きました。

宮中三殿は、午前中、皇太子殿下が

これから海外に行かれる為、

その行事が行われていたので見学出来ず、

門の閉まった宮中三殿を午後、見させて頂きました。

宮中三殿は、大きく分けて下記3つが祀られているとのことです。

①賢所(かしこどころ):三種の神器である「八咫鏡」の複製が祀られている場所

②皇霊殿(こうれいでん):歴代天皇並びに皇族の霊を祀られている場所

③神殿(しんでん):天神地祇が祀られている場所

この日の奉仕活動は、

皇居中央部・宮内庁のある建物の北側にある、

天皇皇后両陛下とのご会釈があった

「蓮池参集所」周辺の草抜きをさせて頂きました。

皇居内見学&奉仕が全て終わった後、最後の最後に、

天皇皇后両陛下が黒塗りの車に乗られて

蓮池参集所にやってこられる直前。。。

15時半頃でしょうか。。。

急に強い横風が吹いて、私たちが草抜きしたところから、

土ぼこりが東から西にたって、どこかに流れて行きました。。。

「うわー・・・浄化されて、清められて、

これから、ホンマに天皇皇后両陛下が来るんや〜」って

来られる前から神がかり力ハンパないものを感じました。

で、10分後、時間通りきっちり15時40分。

天皇皇后両陛下が東の方向からお越しになられ、

そのお姿が見えた瞬間から、

参集所に集まっていた奉仕団の方々から、

すすり泣く声があっちこっちから聞こえました。

「ああ、分かるな〜・・・その涙の、万感の想いが。。。」

ほんと、言葉では表現し尽くせない、

この感動の涙を、感覚的に理解出来る人こと、

日本人の大和民族のDNAを持つ証なんでしょうね。

だけど私は、一緒に泣いている場合ではありません。

ぐぐっと涙を抑えて、冷静に、

宮内庁の担当者&SPの方々に怪しまれない程度に(笑)、

あっちこっち観て、じっくりと観察させていただきました。

今までテレビや写真でしか、天皇皇后両陛下を

見たことがありませんでしたが、

今回始めてMAX3メートルのところまで、

お側に近づくことが出来、

いち日本人として「日本人として天皇とはどのような存在か?」

真剣に考えるきっかけをいただきました。

・・・日本国憲法の第一条に

「天皇を日本国と日本国民統合の『象徴』と規定する」

と記載されています。

象徴とは何か?と考えた時に、

私は「我々日本国民がなるべき姿・あるべき姿」なのではないか?

と認識するようになりました。

天皇陛下のような、無私な・・・

ヒカリ・愛に満ち満ちた人間になりたいです。

<皇居勤労奉仕の返礼品として頂いた皇居写真集→>

とにかく、天皇・・・天皇皇后両陛下は、

とにかく「己」「我」というものがありません。

私たち人間が、漬物石のようにどっしりと

心の中心にありそうな我儘な

自己中心的なものがありません。

お体からは【ヒカリ】しか観えません。

だから神々しいのです。

こんな人間、私は生まれて始めて観ました。

天皇陛下は代々また日々、

私たち日本人の幸福を祈り続け、日本国家の安寧、

そして世界平和を祈念し続けておられます。

先の戦争「大東亜戦争」が何故起こったか?

我々日本人が同じ過ちを繰り返さない為に

あれこれ研究勉強中ですが、

日本人の中に現れた【統帥権】という、

肉体全体を死へと向かわせる癌細胞が元凶であると

私はほぼ断定しております。

その統帥権というものの原型は既に

江戸時代末期・・・

幕末・長州藩から発症し始め・・・→

明治始めの明治陸軍の中で増殖し始め、

明治38年の日露戦争の勝利で

それが一気に日本中に広がり、

そしてその丁度40年後の昭和20年に

敗戦という形でその統帥権という

癌細胞と共に、日本という肉体が瀕死の状態を迎えた!

と私は観ております。

統帥権というガンが蔓延り末期の状態だった中、

昭和20年の夏・・・

戦争継続賛成派と反対派が真っ二つに分かれ、

御前会議(※天皇陛下、首相、外相、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、

海軍軍令部総長、枢密院議長、合計8名が参加)

にて、「終戦の御聖断」によって

昭和天皇はポツダム宣言を受け入れるよう決断されます。

それで先の戦争は終わったのです。

昭和天皇は、御前会議にて

以下の言葉をおっしゃったそうです。

「わたしは非常に心配である。

日本民族はみんな死んでしまわなければ

ならなくなるのではなかろうかと思う。

そうなったら、どうしてこの日本という国を

子孫に伝えることができるか。

わたしの任務は祖先から受け継いだ

この日本という国を子孫に伝えることである。

今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらいたい。」

「わたしのことはどうなってもかまわない。

たえがたいこと、しのびがたいことではあるが、

この戦争をやめる決心をした。」と・・・。

(迫水久常『大日本帝国最後の四ヵ月』オリエント書房)

さらに・・・

「さらに陸海軍の将兵によって武装の解除なり

保障占領というようなことはまことに耐え難きことで、

その心持は私にはよくわかる。

しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。

この上戦争を続けては結局我が国がまったく焦土となり、

万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは

私としてじつに忍び難い、祖宗の霊にお応えできない。

和平の手段によるとしても、

素より先方の遣い方に全幅の信頼を措き難いのは当然であるが、

日本がまったく無くなるという結果にくらべて、

少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。」

(下村海南『終戦秘史』講談社)

とおっしゃいました。

GHQのマッカーサー元帥は、

「どうか私だけの命は助けてください」と、

昭和天皇が自分に命乞いして来ると思っていたんですよね。

だって、他国の元権力者達だそうだったように・・・。

だけど昭和天皇は全く逆で

「自分の命はどうなってもいい・・・

天皇家の財産も好きにしていい。国民を救って欲しい」と

懇願して来た訳です。

以下『マッカーサー回想記』(朝日出版社)より抜粋↓

「私(マッカーサー元帥)は、大きい感動に揺さぶられた。

死をともなうほどの責任、それも私の知りつくしている諸事実に照らして、

明らかに天皇に帰するべきではない責任を引き受けようとする

この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした。

私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても

日本最上の紳士であるということを感じ取ったのである。」

天皇を戦犯として裁くことに断固反対したマッカーサー。

そのマッカーサーの心を動かしたのが先の天皇陛下です。

普段は私たちの知らないところで、

私たちの幸福を祈り続けてくださり、

このような国家存亡の危機に直面した時には

かけがえのない救世主としてのお役割を果たして下さるのが、

皇室であり、天皇という存在であります。

無私、至誠、大慈、大愛に満ち満ちた天皇陛下だからこそ、

私たちはそのお姿を直に拝見させて頂いただけで、

感動の涙を流し、極論ですが・・・

「天皇陛下の為に、命をかけて戦える」とまで

思えてしまうのではないでしょうか。。。

自分を心から、全身全霊をかけて愛し、

愛に満たしてくれる存在だからこそ、

自分もそのような存在に対してそう出来るのではないでしょうか。

なかなかなれない・・・人間を超えた神、人間神・天皇神。

これは虚実ではなく、真実であります。

もしも疑っている人がおられれれば、一度、

天皇陛下に直にお会いされてみてはいかがでしょうか。

この直にお会いした時の、凄さ、感動は言語化出来ないし、

言語化すると、つい虚実も混じってしまいそうですので。。。

橿原神宮に鎮座されている、

神武天皇の時代から2600年以上。。。

どうして私たちの国に、天皇という象徴がおられるのか。。。

その歴史の凄さ、先人たちの智慧の素晴らしさを今回、

ひしひしと感じました。

そして、私が東京・皇居にいる間に起こった

大阪・関西の台風被害と、北海道の地震・・・

これも全て、何かの意味があるような気がしてなりません。

国家泰平並びに世界平和を引き続きご祈念しながら、

今、ここで自分自身が出来ることを考え、

そして一つずつ実践して参りたいと改めて決意した次第です。

青垣奉仕団のみなさま、宮内庁のみなさま。。。

その他お世話になったみなさま、ありがとうございました。

そして被災地・被災者のみなさまの一日も早い

復興を心よりご祈念申し上げます。

●宮内庁公式ホームページ http://www.kunaicho.go.jp/

※範囲は限られていますが、どなたでも皇居の参観が出来ます。
(外国人観光客が多く、とても驚くと同時に、とても嬉しく思いました!)