「淡路島 〜阿波路にて想うこと〜」

お四国参りをマイカーで行うことの楽しみは、

自分のペース・想いで

自由に動けるということです(^^)♪

私が暮らす大阪・本州と四国の間に淡路島があり、

そこでゆっくりすることも、

お遍路における醍醐味の一つです。

行きは、淡路島の北端にある淡路サービスエリアで、

美しい太陽を礼拝します。

これから始まる遍路行(四国での時間)が、

よいものになるように願かけを行い、

ご加護を祈ります。

「今回はどんなこと・もの・人に出会うんやろう?」と

希望に満ちあふれた時を過ごします。

帰りは、美しい夕日や夜景を観たりして

感謝の気持ちで行を終えます。

私の場合、行の始まりと終わりは

この淡路島にて“式”を取ります。

また、お気に入りの日帰り温泉施設

「松帆の湯 http://matsuho.com/hotspring/」で、

夕食や明石海峡大橋が見える露天風呂を満喫し、

行の汚れを取り、また明日からの生活の英気を養って、

一息ついてから娑婆・大阪に帰ります。

松帆の湯の駐車場で、

今回もぼけーっと明石海峡大橋を眺めていました。

「ああ、またあの娑婆に帰るのか〜・・・」と

憂鬱になる瞬間があります(笑)。

こっち(淡路島)が彼岸<仏様・悟りの世界>、

あっち(本州)が此岸(しがん、人間の世界)。

明石海峡大橋はそれをつなぐ橋。

明石海峡は三途の川に観得ます。

今日も生まれ行く命、還り逝く命、、、

いろいろあるんやなーって眺めております。

生も死も一つの流れ、自然現象ですからね。

夜は美しく見える都会も、

太陽が上っている間はその明りによりありのままが観え、

汚れ穢れているのがよく分かります。

個人差・地域差はありますが、

過去から積み重なった人間の

各種想念がうずまいております。

人間は【無明の動物】で、

美しいネオンのみに心囚われて、真実を観ず、

それが光であり宝であると勘違いしており、

口では「幸せになりたい」と言いながら、

全くの正反対に堕ちている・不幸になっている人は

多いような気がしております。

きっと、何のために生きているのか?

分っておられないし、

分かろうともされていないのでしょうね。。。

(ー人ー)南無南無

私は美しいものが好きであります。

だから、私は純粋にこの此岸があまり好きではありません。

美しいものもありますが、

“みにくいもの”、観たくないものもたくさんあるからです。

だけど、ご縁あって私は今、この此岸におります。

きっと、お得意の使命感を持って、自ら立候補し、

何らかの使命役割を担って、

この橋を渡って来たんやと認識しております(笑)。

だからこの此岸人生をステキに謳歌しなければと、

この風景を眺める為に思うのです。

此岸の中に在っても、天は私に善き信仰(=道しるべ)と

善き師・仲間を与えて下さっています。

ですので、少々迷うことはあっても、

露頭に迷うことはありません。

私は、人間の口々に違って出てくる

【まやかしの真実】は信じません。

なぜなら、真実は一つだからです。

人によって言うことが違うものは、

真実ではなく、まやかし・虚実です。

人間の心にこびりつく恐怖心や罪穢れ、

各種悪想念が、真実を捏造していくのです。

それが積もり積もって、地域や国家、地球全体が穢され、

その自浄作用でいろんな難が起こって来るのです。

従って嫌がる・嘆く・恐怖に怯える・忌み嫌う前に

やるべきことがあります。

だけど、時にその真実が、

誰かの口を使って私に伝わって来る時があります。

それは信じます。

その時の人間の口には、神々しさ【ヒカリ】があり、

真実か虚実か瞬時で判別出来ます。

(真実にはヒカリがあり、虚実にはヒカリはありません)

役行者・修験道で言うべきところの【験力

(大自然・大宇宙の中心軸を成している絶対的一の存在=

真実と自らが一体化し、その絶対的存在と一体化した動きを取り、

時に森羅万象をも動かす・変化させる力)】の

底なしの凄さを最近、実感し始めております(ー人ー)☆

なかなか、この境地・次元のことを言語化し、

的確にに伝えるのは難しいですが、

もうぼちぼち、

これをやり始めなければなりません。。。(難)★

人生は、必要なもの(縁)は全て与えて下さっている・

不必要なものは絶対に与えられないと、確信を得ております。

不信でも過信でもない、自信。。。

私は常にその【唯一無二の真実】を手探りに、

曲がりなりにもこの此岸で生き抜き、

やがてまた彼岸に還って逝きたいなと思っています。

死ぬその瞬間を「縁起でもない」などと、

死ぬ寸前まで一切考えない人間は次元が真に低く、

時代遅れであります。

「自分はいつか必ず死ぬという真実」を

ド真剣に考える程、

今ここに生きていることを真剣に考えるのと同一の意味が在り、

自分が今持っている命というものが益々輝いて来るのです。

今後も、この地域・国家・世界・地球で起こることに対して、

憂することも絶望することもなく、

今まで通りに各種祈りを捧げながら、

自分に出来ることを精一杯行い(真実の探求&実践)、

そして今生の人生をステキに謳歌して参りたいと、

この美しい明石海峡大橋の風景に誓い、

この橋を渡って、この娑婆に帰って来ました(^人^)☆