「【歴史的真実】は二重構造」

私の部屋には今、扇風機と

ガスファンヒーターが仲良く並んでます(笑)。

パジャマもおフトンも夏用と冬用を一緒に置いています。

暑いのか涼しいのか寒いのか?・・・

コロコロ変わる時期ですが、

とにかく体調不良にならないように、

柔軟に気温(天地の状態)に合わせて

過ごしております(ー人ー)☆

いつもは2ヶ月に一回くらいで

髪を切りに行くのですが、

あれよあれよという間に3ヵ月ぶりに美容院に行き、

伸びまくった髪をバッサリと切り、

頭だけではなく、

ココロもふんわ〜り軽くなりました(^^)♪

秋は物事を深く考える・・・

物思いに耽るにはとてもよい季節なんで、

軽くなった頭にあれこれ詰め込んでおります。

来週、対馬に行き、あれこれ学びに行く関係で、

ネット等で対馬に関連する

日本・東アジアの歴史を今調べていて、

ハタ☆と気づいたことがあります。

それは「【歴史的真実】は二重構造」ということです♪

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

(愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。

私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、

他人の経験から学ぶのを好む)

・・・という観点からすれば、

【歴史的真実】を知ることは非常に大切なことです。

歴史とは、先人たちのイキザマ(念、心)

並びにそれから形成された有形無形のもの

全ての経験・蓄積・結果・智慧であろうかと思われます。

しかしながらもっと大切なことは、

「歴史的真実を踏まえての、

今を生きる私たちの生き方〜判断と行動〜」です。

歴史的真実を知るだけでは、

“片手落ち状態”であり、無意味であります。

膨大なる過去を知った上で、

どのようにそれらを活かして今を生き、

よりよい未来を創っていくかが非常に重要だと思われます。

歴史とは一本の流れ「大河」の如しです。

その【真実の流れ】を、

どれだけ掴めるかが非常に重要です。

歴史は点ではなく、線、流れで出来ています。

私という一人の人間にしても、

両親がいて祖父母がいて先祖がおり、

ある日ポッと自分が生まれて来た訳ではありません(=因果応報)。

で、その大河の中には

有名無名・多種多様な先人たちが

“川に生きる魚”の如く、生きておりました。

例えば“豊臣秀吉”という

一匹の魚をこの場で釣り上げて観てみますと、

秀吉の人生の中にもいろいろあり、

徳と罪が入り乱れております。

私たち大阪人からすれば、

大坂城・大坂の町を創り

現在の大阪の街の原型を作った大恩人ですが、

朝鮮の人からみれば晩年、

悪しき朝鮮出兵を行い、

老いて狂ったアホな権力者やと認識されております。

このような感じで歴史とは、

【一つの大河(真実)の流れ】という面と、

【大河でかつて暮らしていた無数の魚たちの

人生によって形成された、

玉虫色に光る多種多様な歴史】との二つがあり、

それらが二重構造を成しているのが、

歴史というもの本質であると私は観ております。

私は安土桃山時代に生きてなかったので、

豊臣秀吉という人物に直に会ったこともなく、

友達でもなかったので、実際のところ、

どんな人物でいつどこで誰と何をしたか?

毎日どのようなことを考え、

行っていたか正確に分かりません。

従いまして、

豊臣秀吉という人物を知るためには、

その人物のことを記し遺された

書物でしか分かりません。

だけど書物やネットにある記事は、

それを作成した人たちの主観や感情、

推測、世論操作の意図も

混ざっていることがありますので、

100%ありのままの豊臣秀吉を知ることは、

不可能です。

私の結論としましては、

【大河でかつて暮らしていた無数の魚たち】の

歴史的真実は100%分からないし、

知る必要もないということです。

が、その無数の魚たちが創って来た

【一つの大河の流れ】の歴史に関しましては、

現存する書物等で理解することが出来そうです。

歴史的人物や歴史的出来事の詳細は分からなくても、

大局的な流れは大きなぶれや

誤りがなく理解したいと思い、せっせと調べております。

自らの好き嫌い・快不快という感情、

はたまた思い込みや先入観といった

偏った概念に囚われることなく、

それらを超えた先にある「大河の真実」を

少しでも多く探り当てたいと思っています(^^)♪