今回、政経倶楽部の方々との
「対馬訪問例会」では、
「対馬観光ガイドの会 やんこも」さんから
ガイドを派遣して頂きました。
2日間ガイド頂いたのは
ガイドの会の会長の小島武博さんです。
ちなみ「やんこも」とは、対馬言葉で
「何度も」という意味なんだそうです。
内地(本土)の人間だけで観光地とか行っても、
よく分かりませんが、
地元のガイドさんと一緒に行きますと、
とても詳しく説明して頂きますので、
とてもわかり易くて楽しい・・・
感動的な旅時間となりました(ー人ー)☆
厳原(いづはら)という、
対馬で一番の栄えている町(対馬藩の府中だった場所)
にある「万松院」は、
対馬藩を治めていた、宗家の菩提寺です。
歴代藩主の墓所は、国の史跡に指定されています。
宗家は由緒ある家系で室町時代頃から現在に至っています。
「万松院」の詳細は下記をご覧ください↓
http://blog.eotona.com/?p=13675
ここは「日本三大墓地」の一つと言われております。
対馬は日本と韓国の間にある島で、
その間を取り持つ為に、
国内外にその威厳を示す必要があり、
2万石そこそこの小藩だったにも拘らず、
こんな立派な墓所など作られたそうです。
実際江戸時代は、長崎の出島以外にも、
この対馬でも各種貿易が盛んだったそうで、
そこで得た利益等で実質は
「10万石」大名だったそうです。
ちなみに対馬は昔から田畑に出来る土地が少なく、
米が殆どとれないので、海産物や鉱物、
そして貿易で稼いでいたとのことです。
薩摩から持って来た、荒れ地でも育つ
サツマイモを「孝行イモ」と呼んで、
サツマイモをたくさん栽培していたそうです。
それを植える前に天敵であるイノシシを、
農政家・陶山訥庵(すやまとつあん 1657〜1732)
の大号令により、9年かけて絶滅させたのですが、
平成になってペットとして飼っていたものが
逃げ出してたちまちイノシシが
対馬中に蔓延ってしまい、
元の木阿弥状態で作物被害だけではなく、
生態系や山のカタチも崩れて来たそうです(^^;)。
先人たちの必死の努力・智慧を感じます。。。(=人=)☆