長寿院というお寺の境内
(と言ってもちょっとした山のてっぺん)にある、
雨森芳洲のお墓に行って来ました。
(雨森芳洲がどのような人物かは
後日説明させて頂きます)
そこは新旧いろんなお墓がたくさんあり、
各時代のお墓の展示場的な感じでした(笑)。
どうやら、てっぺんに近づく程に、
おエライ人のお墓らしいです。。。?
![](/img/u43837/FI4002941_0E.jpg)
雨森芳洲のお墓の正面には
ベンチが一つ置いてあって、
ちょっとそこに座ってみました。
さわさわと木々を揺らす風の音と、
近くにある小学校か中学校から、
ブラスバンド部の演奏の音が流れ聞こえて来て、
「嗚呼、平和やなぁ。。。」とのほほーんとしていました。
![](/img/u43837/FI4002941_1E.jpg)
雨森芳洲が活躍していた時代は、
江戸時代・徳川家がまだまだ力があった時期
(戦のない比較的平穏な時代)でしたが、
この対馬藩で、徳川幕府と朝鮮王朝の間に立たされ、
いろいろとギクシャクしたり
大変なお役目を全うされ、
そして天に還られ、今はこうして爽やかな風の音と、
少年少女達のブラスバンドの音色の中におられる
平穏なたましい。。。
ふと、空を見上げると、古えの先人たちが、
こっちを向いて微笑んでいるように感じました。
![](/img/u43837/FI4002941_2E.jpg)
山を下っている時は、
その山道の周りをよく観ながら下っていました。
すると、その道沿いには、実に多くの昔の墓石があり、
転がっているもの、朽ちているもの。。。
たくさんありました。
対馬という地理的条件なのか?
良質な墓石で作られたのか?
とにかく保存状態が良く、
何と墓石に刻まれているのか?
私でもその漢字が分かるものが比較的多かったです。
江戸時代のものが多いと感じました。
自分の墓がこんな風に転がってたり
朽ちていくのは嫌やな〜と
最初は思っていたのですが、
その転がり具合い・朽ちて土に還る頃合いが、
なんだかとっても自然で、
「いいなー・・・」って思いました。
人間も自然の一部であり、
時期が来て葉っぱや木々が枯れ朽ちて
土に還るのと同じで、
人間もそうあるべきなのでは?って感じました。
内地(本土)と違って対馬は
【ありのまま・自然のまま】がいっぱい残っている。。。
だからこそ、ここにいる私も、
自然とそう感じられるのかも知れませんね(^^)♪
●雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)について↓
http://www.city.nagahama.lg.jp/section/kyouken/children/category_02/03_kinsei/hoshu/index.html
![](/img/u43837/FI4002941_3E.jpg)