恋多き女性の波乱万丈

日 時 平成30年10月29日(月)13時30分〜15時
 飛びぬけて恋愛遍歴の多い平安時代の女流歌人・和泉式部の人生に
ついてのお話しです。
 夫も子供も捨てて走った恋の相手に死なれ、絶望のどん底で出会った
新しい恋の相手にもまた死なれ、そして次の恋に・・・・・
 彼女は貞元年間(967〜978)の生まれ(生没未詳)で、大江雅致を父に
平保衡の女を母とした中流貴族でした。
 早くから文化的な環境に身を置いていたため歌の才能を磨かれ、後に
父の部下であった橘道貞(和泉守に任官)と結婚し、一人娘の小式部内侍をもうけています。
 しかし夫婦仲はうまくいかず、冷泉天皇の皇子・為尊親王と恋に落ちて都中のスキャンダルになります。
 結局 父はそれを恥て彼女を勘当し、夫とも離婚に至ります。
 ところが為尊親王(23才)が急死してしまい、彼女は絶望のどん底に突き落とされてしまいます。
 しばらくして為尊親王の弟・敦道親王から知らせが来たことを契機に、今度は敦道親王と恋に落ちます。
 敦道親王との間に男子をもうけますが、その敦道親王も27才で病没してしまいます。
 その後も、道命阿闍梨や稲荷の童子らとも浮名を流す等するので、藤原道長は藤原保昌(武勇に秀で「道長四天王」と称された人)と結婚させました。
 なお彼女の百人一首にある歌は、「あらざらん 此世の外の 思い出に 今ひとたびの 逢う事もかな」(自分はもうこの世に長く居ないので、たったひとつの思い出としてもう一度あなたに逢いたい)です。