「神と仏のちがい 〜天道信仰について〜」

昨年10月、対馬(https://www.tsushima-net.org/)へ行き、

20個程の感想文をこのブログに記載させて頂きましたが、

その旅で最も感動したこと【気づき】を未だまとめられず、

いつの間にか年を越してしまいました(涙)。

「これをまとめなければ私の2018年は終わらない!」

と肚をくくり、まとめさせていただきました。

日々神社仏閣参りをしておりますが、

「そもそも神と仏の違いとは?」

「私たち日本人の信仰の原点とは?」

そして

「なぜ私は神社仏閣にお参りするのか?」

といった根本的なことが、

この対馬訪問や司馬遼太郎先生の本を

中心とした書籍やネットの情報により、

私なりの一定の答えを見出すことが出来ましたので、

ここで一気に記載させていただきます。

私の“限りなく妄想に近い想像”が

多分に含まれており、

真実かはどうか分かりません(笑)。

ご参考までにどうぞ〜(^人^)☆

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・・・遥か彼方、有史以前。

宇宙全体を司る創造主より、動物的な“ヒト”が、

カミ(神)の分身である御霊(みたま エネルギー・意識)

を授かって“人”となり、

口や手足(肉体)の無いカミに成り代わって、

この地球上の生物・森羅万象を

より幸せへと導く存在となりました。

(実際、それが着実に出来ているかどうかは別問題です・苦笑)

そのカミの意志をより鮮明に聴き、

その意志を護っていくために、

人が入ってはならない(穢してはならない)

神域・聖域というものが設けられました。

その「印(しるし)」・・・

またカミと人が暮らす場所の「境(さかいめ)」として

祠や鳥居が建てられ、

その意思疎通(まつりごと)を行う場所(にわ 庭)が

形成されて行きました。

目に観えないカミと人間がその境の場(にわ)で

交信(コミュニケーション)し、

それぞれの立場でこの地球・宇宙をより幸せにしていく訳です。

神域は山であり海であり、「大自然そのもの」でした。

その大自然の最たるもの“絶対的な存在”は【太陽】です。

そのヒカリ(愛)は、どの存在その人間にも

まんべんなく平等に与えられており、

その営みは今も変わることはありません。

その【太陽】に代表される大自然・森羅万象に対する、

絶対的畏敬の念を表したものが、

対馬に今ものこる【天道(=太陽)信仰】だと

私は認識しております。

日本の本土(内地)から遠く離れた、

またお米(人間を欲をかきたて狂乱・搾取させるもの)が

殆ど取れない島は、

日本の歴史の表舞台にはあまり登場して来ない僻地だけあって、

かつての日本の権力者たちの支配が

あまり行き届かなかった側面があり結果、

日本の古き良き風景(文化・風土といったもの)が多く残っております。

ですので、日本古来の信仰のかたちが今も残っています。

対馬の古くからの神社には、社殿という立派な建造物はありません。

神域・信仰の対象物である、山や海がまずあり

(聖域なので近づく・立ち入ることは禁忌・タブー)、

その境に小さな祠があって、場(にわ、庭)があり、

そして鳥居があるのみです。

奈良の大神神社(三輪大社)のように、

御神体(=信仰の対象物)が

三輪山という一つの山であり・・・

従って、かつての三輪大社も社殿は無かったと

容易に推測出来ます。

しかしながら、近代・明治時代初期を中心として、

政府が天皇並びに神社を

国家権力集中の装置として利用したため、

また政府機関の威厳を早急に示すためのいち施策として、

(明治初期は江戸時代まで権力を持っていた

士族や藩主等の力が大きく、政治的に不安定だった)

見た目に訴えかける立派な社殿等の建設が流行し、

全国均一のものに作り変えて行ってしまいました(国家神道)。

従って、明治以降に改築などされた神社を観ても、

古い時代の信仰の本質が観えづらくなっているように感じます。

従って本来のカミを具現化させる施設や装置は

もっと簡素なもの・シンプルなものであります。

紀元前5世紀頃、大陸・インドでブッダにより

「仏教」という世界的宗教が興り、

人を介し時代を経て断片的に日本にも齎されます。

「これはいい!」と、当時の日本の権力者たちも

仏教を取り入れようとしますが、反対勢力が徹底抗戦し、

「神道 VS 仏教」という構図の戦が勃発します。

私の地元八尾はその主戦場となりましたので

この話は八尾では有名ですが、裏を返せば、

ただの「権力闘争」であります。

その闘争に宗教が利用されたまでです。

神道の宗教家も国家的な仏教輸入は

大反対だったと容易に推測されます。

その教えが気に食わないという客観的な論理よりも、

その教えを担いでいる人間が気に食わないという

主観的な感情で戦が起きているという要素の方が

総合的に観て大きいのではないでしょうか。

この闘争の構図は江戸時代も明治時代も、

そして今も変わらないと観ています。

宗教という、多くの人々に対する求心力があるものを、

時の権力者が利用するのは、仕方がないことです・・・が、

これは完全なる【罪】ですよね。

聖徳太子(574〜622)が活躍していた時代に

仏教(中国の先進的な文明)を本格的に輸入し、

それに基づいた国家建設を実行したようです。

また、少し時代が下って本格的に

仏教の一体系を取り入れられたのは、

真言宗の空海(774〜835)、

天台宗の最澄(766〜822)などなど。。。でしょうか。

聖徳太子が活躍していた時代の前後、

どうしてその当時の人々は、

既に神道があるにも拘わらず、

仏教を輸入したいと思ったのでしょうか?

これが私の長年の謎でした。

私が推測しますのは、

「自分(たち)の悩みにピンポイントで効く」

「即座に解決出来る」という、

当時の神道には無かった【利益(りやく)】というものを、

仏教に求めたからではないか?と推測しています。

例えば、空海が生きていた時代、

当時の嵯峨天皇が世に広まる

疫病等の数々の国を乱す問題が発生し、

空海が真言密教式の鎮護国家の大祈祷をすると、

あ〜ら不思議!問題が収束して行った・・・

というウソかホンマの話?!

当時の神道は、先に記したように、

大自然に対する畏敬の念に基づいた信仰であり、

「嵐や日照りを何とかして欲しい!」という

大自然の営みに関しての祈りはいけたかと思われますが、

人間の集合体である国家から個別の人間の悩み・

人間の心の中やその周辺にある悩みの解消は

対応していない・出来なかったと私は観ております。

先祖供養(過去の消罪・因果応報)という概念も、

仏教の教えからであり、元々の神道にはありません。

こんな感じで、仏教がどんどんと、

人間たちの個別の悩みをダイレクトに解消・解決し続けて行ったのです。

また仏教の教えに加えて、

治水の仕方、薬の作り方・処方などなど、

人々のよりよい生活に貢献する実利的&技術的なことも

一緒に大陸から入って来たため、多くの人々の心と掴み

ますます仏教が広まり結果、

お寺がどんどん増えて行きました。

更に時代は下り、江戸時代・徳川幕府になると、

お寺は村々の人間を的確に管理するための

出張出先機関として機能も持つようになりました。

要は徳川家のイヌのようなものです(?)

が、国家権力に護られると、

自己努力しなくても継続出来るので、

堕落して行く部分も多々あるのが

悲しき人間の性であります。

仏教(お寺)にどんどん信者を取られて行った神社側が

「これはアカン!

ただ自然崇拝とかしてる場合じゃアカン〜!」と、

お寺のように、個々の人間のお悩みにも

“ご祈祷”という形等で、対応し始めたとのことです。

いい意味でもわるい意味でも「ライバル」がおりますと、

切磋琢磨し、顧客満足(?)が

双方において上がっていくようです。

・・・で、先述したように、

明治時代「廃仏毀釈・神仏分離令」という

明治政府による悪政の極みの一つであることが発令され

(数年経ってこれはアカンと気づき、撤回されるまで3年間)、

全国各地のお寺がどんどん潰されてしまいました。

だけど、その一方で、その大苦難があったからこそ、

お寺(日本仏教)は、より勁くなっていったのではないでしょうか?

現代における「チベット仏教」のようなものでしょうか。

過酷な状況下で、ぬるま湯に入ることなく、

真の道を探求し続けるからこそ、更に磨き高められ、

真の教えになっていくのではないでしょうか。

これは組織であれ、個人の人生であれ、同じだと思います。

個人の人生も、組織も、信仰(即ち“あり方”)もすべて、

バウムクーヘンのように多重構造になっているのだと思います。

その核には、自分のまた自分の属する組織の

【心】〜芯〜があり、そこに、

自分なりの“信仰”を重ねて行き、その芯で持って、

肉体と命(時間)を使って、

自他に及ぼしていく“やり方”を追求して行くものだと私は観ております。

「信仰とは派閥的宗教で、人々を惑わし邪に陥れるものである」と、

明治以降にタケノコのように湧いては消える新興宗教のせいで、

間違った認識が広く成されてしまっております。

しかしながら、それは間違った認識であり、【信仰=あり方】であります。

我々日本人が有史以前から積み重ねて来た、

真のあり方・真の信仰の根本から、

その方向性までをしっかりと学び、足元を固めることが、

これから先の人生、子々孫々までの幸福の礎となっていくのです。

私はそう信じていますし、

だからこそこれからもいろんな実践をし、

いろんな方々に教えを乞いながら、

真の“あり方”を探求し続けて行きたいなと思っています。

・・・以上を踏まえ、私は

「神」=太陽を始めとする大自然・森羅万象。

それらに畏敬の念を頂き、絶対的感謝を深め、

その意志に沿って生きようと誓おうとする行為が神社へのお参り。

「仏」=私自身(人間全体、過去・先祖、現在・私・今を生きる人、

未来・子々孫々 含む)の悩みや願いにダイレクトに効く、愛のカミサマ。

また先祖も仏の一部であり、死ぬと自分も仏になっていく。

あと、仏には【呪】というものがあり、邪や悪といった存在から

自分を護る、もしくは相手にそれを送るという方法もあるようです。

私は「神」か「仏」か?という二者択一は好きではありません。

神社もお寺も甲乙つけがたいです。

どちらも好きでどちらも必要です。

どちらが欠けても、真の日本人の信仰ではないと感じております。

(人それぞれ神と仏のバランスは違うかとは思いますが)

だから私は神仏習合型宗教である

「修験道」がとても好きです。

日本古来の神道と外来宗教である仏教が

絶妙な心地よさでブレンドされていると感じています。

空海の真言密教も、空海が天才的頭脳で考えられ、

神仏習合型の仏教となっており・・・

(恐らく、恵果阿闍梨から真言密教を伝授された時点では

そうでは無かった部分もあったかと思われますが、

空海が日本にこの真言密教を根付かせるために、

あれこれお考えになられたのだと推測されます)、

高野山に行くとそれがとてもよく感じられ、心地よいです。

・・・一見相反する陰と陽を習合させ

化学反応を起こさせて

今までに無かった一つのものにし、

さらなる成長・進化を達成する・・・という

日本人らしい「和の精神」。

とってもステキやなぁと思っています。

・・・私は個人的に、神と仏を同じものとして、

認識するために【カミ 〜上〜】という言葉を使っています。

神も仏も関係なしに、

これからも私がご縁ある・必要な【カミ】を信仰し、

その“おかげさまの力”をお借りしながら、

自他の幸福を着実に実現して参りたいと思っています。

その為にもこの度、改めて私なりの

「神仏(信仰)観」を確立する必要があり、

その重要なヒントが対馬の【天道信仰】に在ったということです。

さいごに、

ただ自分で「ああである、こうである」と

頭の中だけで気づいたことを収めておくだけではなく、

以上のようにアウトプット(文書化)することにより、

更に学びを深めると共に、この文書を読まれる方の

ご参考になればいいなと思っております。

何度も言いますが、

これは私の“限りなく妄想に近い想像”が多分に含まれており、

真実かはどうか分かりません(笑)。

ご参考までにどうぞ〜(^人^)☆