学べる時間!中町北小学校体育授業♪

今日は朝からまた中町北小学校さんでの体育授業でした!

今日が最終日という事で5年生、2年生、1年生という3時間でした。新鮮な1回だけなら正直誰でも出来ます。でも、2回目、3回目という『慣れ』が出てくると色々本音みたいなものが見えてくるものです。そういうものを出させたいと思っているし、うまくいかない事を体験させたい考えもあるので、今日がまたどうなるか?何が見えるか?を楽しみにさせていただきました。

時代が代わり、やっぱり常識の感覚レベルは随分違ってきたな〜と思います。自分達の時のほうが良い、とかではなく違ってきているという事実。その上で、教える立場としては考えてもらわないといけない事もある。1年生でも6年生でも関係ない。みんな成長していく為に考えないといけない事はやっぱりしなくちゃいけないって事。

日本人の文化かも知れないけれど(他の国を全部知っている訳ではないけれど)、やっぱり失敗を恥ずかしがる。そもそも失敗でもないような事でさえ、失敗のように受け止め、それが恥ずかしいから隠したり、誤魔化したり、人のせいにして逃げる、というどれかをほとんどの子がやってしまう・・・。

それは幼少期にやっぱり大人が色々と評価し過ぎている事も関係しているんだろうと思う。それは良い、それが良い、それはダメ、あれはダメ、みたいに。

だから自分で選んで育っていないから大きくなってきて自分で選べる意思を持った時に、『やりたい・やりたくない』だけで判断をする。それが今の時代に大きな課題として感じる(ここ数年の体育授業、もしくは日頃の中学生からも感じる事)。

どうして学校に行くんだろうね?勉強するんだろうね?どうして色々な教科をやるんだろう?どうして給食があって、掃除があって、休み時間があるのだろう?

そんな話を大人と子供が『一緒』になって考えた事がないんだと思う。いつも大人の考えを結果的に子供に押し付けている状態になっている事に、大人のほうも気付いていない事が多くなる。そして、意思を持ち始めた子供達が『違う』と言い出すと『反抗的・反抗期』という言葉で片付けようとする。

・・・つまり、『違いを認める習慣がない』んだと思う。自分はこう思ったけれど、そうじゃない友達がいて、その意見も大事だと思うとかその意見によって自分も自分の考えが違うと思ったり、やっぱり自分を正しいと思ったり。そういう経験をしていないから事態が起きるといつも大人が解決しようと奮闘してしまう・・・。

今日もそんな事が度々起きました。

自分は子供同士で起きたトラブルを子供に聞いて、子供同士で起きた事は子供同士に解決させる。間に入って何とかスムーズに解決させようと大人がしてしまうと子供の中のモヤモヤは消えない。

当人同士で話し合う。意見を出し合う。自分の意見がなければ、もしくは同じ意見ならばしっかりと周りに合わせる努力をする。など全員が必ずどれかでないといけないのに、大半が『何か分からんけど、みんなが何かしよるから同じような事してたらいいわ』という感覚。自分の頭、心で考えずにやっている事が多く、見た目が何となくであってもみんながやっている風に見えれば問題ない、という感じになっている。ここが一番怖いし、良くないと感じる部分。

現場だからこそ分かる事、その場だからこそ起きた事。

毎日、毎回、毎分、考えられる事が常にあり、その結果が反映されてくる。『話をちゃんと聞きなさい』という注意を一年間経ってもまだ言わないといけない状況であったとしたら、それはそれまでのやり方が違うんじゃないかな?と見直さないといけないのに、その振り返り作業があまりないように思う。

蔓延しているのは『人のせい・自分は悪くない』の精神。。。

ここが全てだと思った。『だから』この問題が起きているという事を冷静に見極められるか?ですね!こんな自分を鍛えてくれる、試させてくれる、変えてくれる良い時間をこうし与えてくださった事に心から感謝をしています!まだまだ成長出来ると思ったし、やるべき事がたくさんあると痛感しました。

子供という愛すべき存在から学ぶ事は山ほどある。年々自分が心からそう思える事で見える景色も随分変わってきたし、そこで起きる事も必然的であると思える。

自分が変われば環境も変わる。待つのではなく、動く。がんばろう!!

4日間の体育授業の機会をくださった中町北小学校の先生方、本当にありがとうございました(礼) また機会があればいつでも呼んでください!!