四国遍路大好きよしこちゃん!
今日・4月21日(日)は
「番条のお大師さん」に行って来ましたぁ〜(^0^)↓
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/chiiki/banjo/
番条(ばんじょう)とは、現・奈良県大和郡山市にある、
番条という名前の集落(旧村)の名前です。
「写し霊場」という、四国八十八ヶ所霊場を
模倣した場所が全国あっちこっちにありますが、
この集落にある、四国遍路の写し霊場は、
毎年4月21日(お大師さんがご入定された日、
御命日・3月21日の旧暦)に、
集落の各家にある【お大師像】を軒先に出され、
誰でも自由にお参り出来るようにするという、
一年に一回だけの・・・
しかも各個人のご自宅が霊場になる!という、
おそらく日本・世界でここにしかない、写し霊場なんです〜♪
昨年この写し霊場を知り、絶対お参りせな・・・と、
燃(萌)えまくり、ようやくその実現が出来、
感無量でございます〜(=人=)☆
お大師さん(弘法大師空海)ご入定1000年の5年前・
1830年頃(江戸時代後期)、
この番条集落に流行り病(コレラ)が襲います。
村の人たちで話し合い、この村にはちょうど88のお家ある!
ということで「各家一つ一つに【お大師さん】をお祀りし、
御利益を頂こう」となったそうです。
それが功を奏したのか、コレラはおさまり、
村の人たちはお大師さんへの信仰心を
ますます篤くされて行きました。
ある日、ある村の人が引っ越しのため、
大八車に家財道具一式を乗せ、
村の境にある川の橋を渡ろうとすると、
それを引っ張る牛が動かなくなりました。
家財道具の中にあった、
お大師さんが入った厨子(ずし)を下ろすと、
その牛は動き始めたとのこと。
また、お大師さんを持って村外に出ると、
その家は不幸にみまわれるという伝承もあり、
引っ越しする家は必ず、村内の親戚やご近所さん、
お寺にお大師さんを託して出て行くというルールが継承され続け、
200年弱経った今でも、
当時のお大師さんが88体、
そのまま村に残っているとのことです(驚)!
今朝JR八尾駅を出て、
いつも乗っているJR大和路線で、
いつも行く大阪方向とは逆の奈良方向へ。
JR郡山駅から2キロ程歩いたところに、
番条の集落はあります。
こんなに近い場所に四国88があるって、
めちゃくちゃ感動〜っ(^0^)!!!
集落内のいたる所に【お大師さん】がおられ、
正に、「お四国☆ワンダーランド」!
オモロすぎ〜〜〜〜っ!!!
お大師さんが入っておられる厨子の右側に、
四国88の何番さんのお大師さんかが
ちゃんと記載されており、自分が今、
何番をお参りしているかが分かります。
加えて、インターネットや、集落内のお寺などに
「番条のお大師さん」のマップが配られています。
個人のご自宅にある、個人の御厚意により
お祀りされているものなので、
いろんな事情で公開出来ない
お大師さんも何体かありましたが、
それは仕方がありません。
口コミでどんどん知名度が上がっているようで、
私のような四国遍路スタイルでお参りする
遠方からの人も結構おられ、
あとは地元の観光がてらの人が多かったです。
駐車場に関してはピンク色のハッピを着た、
観光協会の人たちが、空き地利用をして、
あっちこっちで誘導されてはりました。
毎年だいたい朝9時〜15時頃まで、
各家々の軒先で、
お大師さんが公開されているそうです。
途中、阿弥陀院というお寺に行き、
若いご住職と30分程、お話しさせていただきました。
この集落のお家の殆どは真言宗なんだそうですが、
天理教など違うところもあるそうです。
だけど、「お大師さんをお祀りすること」は
喜んで継続・継承され続けておられ、
決してお寺等、上からのお願いではなく、
各家々の自発的行為で毎年、行われているとのことです。
「お大師さんは真言宗の開祖」という、
宗教的枠組みを超えた、
人間・人類全てに恩恵をもたらす、
またそれを感じさせるパワーがあるんやと、
深く感動いたしました。
確かに、最近四国遍路は、私のように、
家が真言宗以外の人そして、
アジアやヨーロッパの人が増え続けています。
真言宗を信仰していなくても、
何かお四国・お大師さんに惹かれるものがある・
ご縁があると感じる人なら、誰でもOKという、
このゆる〜い感じが、宗教戦争(各種対立)や
各種格差を助長することのない、
本当に素晴らしい宗教&社会的システムだと感じました。
さすが多神教の日本!
大和民族が生み出した【叡智】ですよね(=人=)☆
なお、この番条のお大師さんの、
具体的な「お参りの手順」なんですが、
四国遍路の時のように、
経本に沿ってフルで読経している人はほぼおらず。。。
私の場合、まずお賽銭入れ、合掌礼拝し、
御宝号「南無大師遍照金剛」を三回唱えて、
終わりです(早っ!)
お接待(お下がり)として、
お餅が頂けるシステムになっています。
この日のためにわざわざ手づくりされているお家が多いです。
阿弥陀院のご住職に伺いましたが、
お餅は「ぜいたく品だった昔の名残」なんだそうです。
お正月のお餅のように、
縁起を担ぐ(お大師さんの恩徳を頂く)
という意味で代々お餅なんだそうです。
ある家のおばさんに聴きましたが、
お参りをせずに、お餅だけをどっさり取って行く
“不届き者”が、毎年何人かいるそうです。
ですので、そこのお大師さんには
「お餅は一人一つでお願いします」
という張り紙がありました。
実は私もそれっぽい人を一人見ました。
そのおじいさん、おそらく近所(別の集落)の人で、
自転車でふらーっと来て、お賽銭も合掌もせず、
お餅を一つ取ってまた次のところに行くのです
(お餅が無いところはスルー)。
その人は私がいてもおかまいなしで、
堂々とそんなことをしていました。
いろんな意味で救いようのない“末期状態”でした。
そのおばさん曰く
「何年か前、そんな哀れな人がいて、ナントその人、
村から少し離れた道路で交通事故に遭い、
自転車のカゴからたくさん餅が道路に散らばってたそうです。
やっぱり、そんな人は罰(ばち)が当たるんやと実感しました」
なるほど〜。やっぱり、そうですよね!
人間は見ていなくても、
お餅の前におられる【お大師さん】は全て観ておられますから。
それは正に「宇宙の法則」(=人=)南無☆
こんな感じで、お大師さんをお祀りしているお家の方や、
お参りしている方との距離がとても近く、
そのコミュニケーションもとっても楽しく、
その魅力を更に引き立ててくれます。
これも本場・お四国と同じ楽しさ、感動があります。
また是非お参りに行きたいです!
ありがとうございました(^人^)南無大師遍照金剛☆