日 時 2019年6月8日(土)13時30分〜15時
古代日本の歴史において国際交流の視点は欠かせません。
特に阪神地域には重要な港湾施設が点在しており、東アジア
地域を往来するうえで果たした役割は大きく、また渡来人の
活動も見逃せません。
このような視点から国際交流の中で阪神地域が担った役割に
ついてご教示賜りました。
阪神地域はその昔「摂津国」と呼ばれ、摂津職(国司は置か
れず特別行政区の役所)が管轄していたそうです。
主な港湾施設としましては、(1)難波津(堀江の開削により発展、6世紀前半)、(2)住吉(墨江)津(日本書紀によれば、中国から機織りの技術者を招聘し上陸したと出ている等)、(3)務古(武庫)水門(神功皇后が新羅征伐後に難波津へ帰る時の中継地等)、(4)敏売(敏馬)浦(=美奴売は摂津国風土記によれば神の名である由、機内の入口)、(5)大輪田泊(行基年譜によれば行基が改修したとされている、8〜9世紀)・・・がありました。
また国際交流の例としましては「延喜式」に、外国からの使者が来朝した時の規定が書かれていたり、「日本書紀」では難波館(宿泊施設)に案内して神酒を与えた等が書かれている由(外国使節団の慰労等)
なお朝鮮半島から来日して住みついて活動したいわゆる渡来人については、新羅から(日本書紀)なのか、百済から(新撰姓氏録)なのかはっきりしない人達もいたようだとのことでした。