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・日時:9月17日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:中尾芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
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〇1..文献に見える難波宮(古事記・日本書紀・万葉集)
古代国家の形成に重要な位置を占める難波宮。東アジア世界への窓口として発展。
・(5世紀)応神天皇−難波大隅宮、仁徳天皇−難波高津宮、雄略天皇−法円坂遺跡の大型倉庫群
・(6世紀)欽明天皇−難波祝津宮
・(7世紀)孝徳天皇−難波長柄豊崎宮《大化改新と難波遷都。飛鳥から.難波に遷都》、天武天皇−天武朝難波宮《複都制構想。朱鳥元年(686)難波宮全焼》
・(8世紀)聖武天皇−奈良朝難波宮《奈良時代の副都として維持されるが、聖武天皇は正式に遷都しようとした。天平16年(744)難波宮を皇都とする。》、桓武天皇の長岡京遷都(延暦3年(784)難波宮を長岡宮に移築。
〇2.難波宮跡の探索
*下町平野説(したまちへいやせつ)…長柄、豊崎の地名が残っている場所。
*上町台地説(うえまちだいちせつ)…天子の場所は、さわやかな高地の場所。
〇3.瓦の出土
考古学的研究の端緒となったのが、大正2年(1913)に東区法円坂町から出土した奈良時代の重圏文・蓮華文軒瓦が発見。…置塩 章(おしお あきら)氏−当時、陸軍の建築技師が建築工事の監督をしていて採集した。
〇4.難波宮発掘
・研究が組織(「大阪城址研究会」)をもって始められたのは1952年(昭和27)。
・1953年(昭和28)、「鴟尾(しび)が出土。法円坂住宅の建設中、偶然に鴟尾の破片が出土。法円坂に難波宮が埋もれていることに確信をもたせる貴重な史料となった。
・1957年(昭和32)第6〜8次調査で回廊跡を発見し、難波宮の発掘調査は次第に軌道にのることになる。
・大阪城址研究会は、1956年(昭和31)に山根徳太郎を代表とする「難波宮址研究会」に模様替えされ、「難波宮大極殿の研究」をテーマに発掘調査と研究が進むことになった。(以下、省略)