「理想と現実の間にあるもの」

日々生きてますと、「今の自分(現実)」と

「なりたい自分&未来のあるべき姿(理想)」

の違い・歴然とした差に、愕然としたり、

悲しんだり、自分や他者に対してイライラしたり、

自信なくしたり・・・いろんな想いが駆け巡る。

「時期」「タイミング」という、

地球の自転みたいに、自分の力ではどうしようもない

【(善処した上で)待つこと】が必要だったり、

そうなれる・それを得られる【能力】を持ってなかったり、

そしてもっと重要な、そもそもそれが得られる

【縁】を持って無かったり・・・

そんな日々ステキにもがいている過程で、

「理想と現実の間にある“もの”」とは、

失望とか絶望ではなく

【“伸びしろ”という名前の希望そのもの】

なのでは無いか?と思うようになりました。

「出来ないことが出来るようになった」とか

「今まで持ってなかったものを得られた」とか

「どうしても捨てられなかったものを捨てることが出来た」とか・・・

過去の自分よりも今の自分が成長進化出来ることって、

希望であり、その中にこそ本当の人生の

楽しさや幸せがあると認識してます。

だから、過去や今の自分が例えアカン・イケてなくても、

諦めずに希望を持って成長進化し続けようと

努力し続けることこそが、人生の実相そのものであり、

今私たち人間が生きている意味、証なんだと思うに至りました。

そうすると、自分のアカン・イケてなくてないところも、

なんだか美しく輝いて観えてきました。

アカンところ・イケてないところがあるからこそ、

成長進化の“伸びしろ”があり、

それを乗り越えるごとに、ますますの希望と幸福が輝いてくる。

逆に言うと、「私は100%完璧。100%幸せだ。」

と認識している(現状に満足している)人間には、

伸びしろというものは無く、それ以上の幸福は来ないということ。

やっぱり人生って、失望とか絶望はなくって、

あるのは希望だけだ。

「人生には希望しかない」と信じている人の元に

【キボウノヒカリ】はやって来る。

だから日々、いろんな問題が起って来るけど、

心の底から悩んでることはないし、

次々起こる問題という名の波をサーフィンのように

ヒューヒュー乗って楽しんでいる自分がいる。

急いで駅へと走る道、キレイなアゲハチョウとお花を見た。

みんながんばって生きている。そこに一切の尊卑はない。

目に映るもの全てが尊く、そして美しい。