「赤ちゃんは生まれた瞬間になぜ泣くのか?」

オギャーって泣くと周りの大人達は

「生まれた〜」ということが分かりやすい。

泣き声は声が通りやすい。

周りの大人達が「なんとかしてあげなきゃー」って思う。

そんな実用的な面があろうかと思います。

一方、【魂レベル】で推察しますと、

「これから始まる人生への歓喜と、これから始まる

過酷な人間修行に対しての苦しみ双方を観じ、

万感の想いで泣いているのではないか?」と、

個人的に観じています。

今から7年前に体験した四国歩き遍路の時に、

終盤を迎える香川県の遍路道を歩いていた時、

ある瞬間、何の前触れもなく突然、

ワンワン泣けてきた時がありました。

「あれれ?人間は悲しくも、苦しくも、嬉しくも何もないのに

泣く時があるねんな。なんでかな?」と考えた時に、

魂の深〜いところから、咳を切ったように溢れ出る

「感動〜ヒカリ〜」を観ました。

過去の人生で観じたことのない、全く別次元の感動です。

そのヒカリが私を覆い、そのヒカリがより

強固に拡がり続けてます。

私の行を通しての不思議体験の一つです。

その感動は、生きるということの喜び、

生きるということの哀しさ、苦しさ切なさや辛さ・・・

人生というものの喜怒哀楽を超えたところ(境地)にあり、

そもそも論として、多いなる神々(存在)たちから

命が与えられているからこそ今、肉体があり

五感があっていろんな喜怒哀楽が味わえるし、

体験が出来るという、その根源的事実に対する

感謝から発心された感動の境地です。

生きていて、こんな辛いことがあって

しんどいとか苦しいとか悲しいとか、

あの人にこんなことして貰って嬉しいとか、

その人からこんなこと言われて幸せとか。。。

いいorわるい等の二元対立を超えた境地が観えた瞬間、

強烈なヒカリが差し、その真っ直ぐなヒカリの道を

更に駆け上がっていくと、そこは全て善であり、

真であり美だということです。

赤ちゃんが生まれた瞬間に泣いている、

その心境も、きっとそんな二元対立を超えた

自我や我欲・各種穢れから離れきった

【真善美の境地】なのではないか・・・

だから赤ちゃんって天使みたいで、

赤ちゃんが笑うとどんな人でも笑顔になるし、

清らかで優しい気分にすることが出来るんやって、

ふっと観じた次第です(=人=)☆

【写真】7年前、歩き遍路結願の瞬間(88番大窪寺にて)