人が生きている間にいろいろなことが
起こって参りますが、生きている間に
「一度死ぬ経験」・・・厳密に言いますと
「死にかける経験」「肉体的もしくは精神的に死ぬ程
ショックを受ける経験」をした方がいいような気が、
個人的にはしています。
私の場合、自らの意思で一人で
四国歩き遍路をしている時に、
雨上がりの山道の下りで足を滑べらせてズルズル落ち
崖の一歩手前で止まったり、
山の中で獰猛な野犬2匹に囲まれたり、
全身がバラバラにちぎれる程の肉体的な苦しみを
感じたりさせて頂きました。
こんな感じで死にかけますと、
「ああ、生きているということは当たり前では無いんやな」
ということが明確に理解できます。
空気のように目に見えない「命」というものの存在に
意識を向け、その価値に気づかされ、
今生かされていることに感謝〜有難い〜と
感じられるようになります。
今までは「私にはあれがない、これがない」と
不足不満しか感じられなかったのが、
「私には命がある。健康な心身がある。そして未来がある!」と
希望に満ち満ちて、歩き遍路行を終え、
大阪に帰って来たことを今でも鮮明に覚えています。
まさに四国遍路行=蘇り・生まれ変わりの行だと
観じております。
四国遍路行をされたことがない方でも、
愛する・信頼する人に裏切られ紆余曲折を経て
精神的に立ち直られたり、大病をされ復活されたり、
大借金を抱えながらも会社を立て直し∨字回復されたり
・・・などなど、人生には多種多様な
「死にかける経験」があるようです。
人生に何度もそんな経験はしたくないですが(笑)、
そんな経験を通して自我我欲(自ら・自らの家系・過去世の)を
ドンドン消罪し続け、生きながらにして生まれ変わり
【赤心の心】に還ることが出来れば、
あとは報恩感謝の人生という【真に幸福な人生】が
待っていると観じています。
【真に満たされる幸福な人生】とは、己ではなく
【他のために生きる人生】です。
今の自分が出来る、精一杯の施し
(命の時間の使い方)を、一所懸命し続けるということです。
きっと、真にそれが出来る人のことを、
古今東西の偉人たちは解脱した【神・仏】と
呼ばれたんやと観じております(=人=)☆
【写真】四国霊場75番・善通寺の掲示板に貼ってあったお言葉