「北海道・オホーツク文化 〜北方少数民族から私たち学ぶべきこと③〜」

これで私の北海道・オホーツクシリーズは終わりです。

我ながら今回も良く勉強しましたぁ〜(^^)♪

私は全ての日本人・地球人に強く、強く問いたい。

人間は過去より今、進化したのか?!

私の言うところの【真の進化】とは、

【真に幸せな人が増えているか?】です。

過去よりも今の方が良くて、少数派(少数民族)よりも、

多数派を形成する民族・価値観を持って

実践している人々の方が常に正しいのでしょうか?

私はこの大いなる問いの答えを、

オホーツク海域の少数民族に求めました。

多数派であろうと少数派であろうと、

正しいものは正しいし、間違っているものは間違っています。

「多いから常に正しい、少ないから常に間違っている」という図式は、

現在の低次元なる「地球の法則」に当てはまっても、

地球(の大いなる意識体)が常に舵を切って

突き進んでいる【宇宙の法則】には当てはまりません。

大自然/森羅万象に対する畏敬の念だけが、

地球人類が明日へと生き延びるための

唯一の思想であり【智慧】です。

古今東西の偉人、四半世紀前に司馬遼太郎先生も

この真実を遺して逝っておられます。

人間は森羅万象のごく一部であり、全てではありません。

傲慢もいいところです。

我儘(我のまま)という自己中心性という大いなる罪。

その根本にある自我という恐怖心、

その恐怖心を拭うための数々の我欲(貪り)・・・

天は罪という愛で赦そうと促しております。

その存在、またその大罪に気づき、

反省懺悔をしない限りは、

今起こっているような想定外の見えない艱難が

もっとエスカレートして起こり続けて参ります。

(以前より何度も申し上げておりますが)

もう一度、はっきりと申し上げておきます。

地球人類がそれに気づいて真の進化に向けて舵を切るか?

それに気づかず艱難が起こり続け、

恐竜の時代のように地球人類が滅亡

(シャットダウン→再起動)するか、です。

・・・縄文時代は獲物を弓矢で射ったり、

木の実を取ったりといった、狩猟採集生活を送っていました。

それが稲作文化が大陸から入ってきて、

大和政権がそれを利用し、定住させて農耕民族となり、

本州界隈は弥生時代に入りました。

その時々に余った作物を蓄えていくという

貯蓄方法も編み出していきます。

ところが、この「貯蓄」というものが、

人間の欲望(貪り)を増幅させていきます。

凶作などで「作物が取れなくなったら

自分たちは餓死してしまう」という自我(恐怖心)が

まず始めに発心されます。

次に自我の周りに

「凶作の時のためにどんどん蓄えておこう」

という我欲(貪る心)が増幅しています。

となると「森林をバンバン伐採して、どんどん畑を作っていこう」とか

「人のものが無くなっても/盗んででも自分のところに蓄えておこう」などと、

自己中心性がどんどん増えていきます。

これは今、日本で起こっているトイレットペーパーが

店頭から消えるという現象と全く同じ構図であり、

いかに日本人含む、地球人類における真の進化がなく、

無明のままであるかが分かります(=人=)南無☆

で、挙句の果てに「あいつら気に食わんし、

もっと欲しい・蓄えたいから、あの村全員殺して、

自分たちのものにしてしまえ」とかで、

殺戮・戦争が起こって来ました。

それに付随して、日本の宗教も、古神道のような

森羅万象に関する畏敬の念の顕れというたぐい

(大局的・全体的なもの)から、

個人的な病気平癒とか、商売繁盛とか、

良縁祈願などへの祈願に変化(へんげ)して行きました。

つまり、宗教/信仰分野も、低次元で多数派の人間に合わせて

大自然・森羅万象に対する畏敬の念の顕れから、

自己中心性に基づいた自我・我欲を満たすためのものに

成り下がった訳です。

ただし、太古の昔から続く、畏敬の念を貫く真の信仰も

今に遺っておりますので、

私は玉石混交の信仰世界も見極めつつ、

取捨選択しながら、本物のみを選んでおります。

そもそもなぜ、病気になるのか?

商売がうまくいかないのか?

悪縁ばっかりなのか?

その真意=天意を知るところから始めなければなりません。

それは、自らのまた自らの属する組織・家系の罪の顕れ

(もしくはよりよくなるための試練・前兆現象)であり、

その清算であり、より幸せになるための

出来事であるということです。

いくらご利益で有名な神社仏閣であろうとも、

自我から発心された願いはもう、

この地球では叶うことはありません。

それが【宇宙の法則】だからです。

「いよいよヤバい/来るよ」という念を、

地球の中心部に存在する大いなる意識体より観じており、

この手のことも発信しなければならない・・・

という【時期】が来たようですので、

自らの使命感において、記させていただきました。

この度のコロナショックは【終わり】でなく、

【本格的な始まり】です。

以上、ご参考までにどうぞ(=人=)☆