これで私の北海道・オホーツクシリーズは終わりです。
我ながら今回も良く勉強しましたぁ〜(^^)♪
私は全ての日本人・地球人に強く、強く問いたい。
人間は過去より今、進化したのか?!
私の言うところの【真の進化】とは、
【真に幸せな人が増えているか?】です。
過去よりも今の方が良くて、少数派(少数民族)よりも、
多数派を形成する民族・価値観を持って
実践している人々の方が常に正しいのでしょうか?
私はこの大いなる問いの答えを、
オホーツク海域の少数民族に求めました。
多数派であろうと少数派であろうと、
正しいものは正しいし、間違っているものは間違っています。
「多いから常に正しい、少ないから常に間違っている」という図式は、
現在の低次元なる「地球の法則」に当てはまっても、
地球(の大いなる意識体)が常に舵を切って
突き進んでいる【宇宙の法則】には当てはまりません。
大自然/森羅万象に対する畏敬の念だけが、
地球人類が明日へと生き延びるための
唯一の思想であり【智慧】です。
古今東西の偉人、四半世紀前に司馬遼太郎先生も
この真実を遺して逝っておられます。
人間は森羅万象のごく一部であり、全てではありません。
傲慢もいいところです。
我儘(我のまま)という自己中心性という大いなる罪。
その根本にある自我という恐怖心、
その恐怖心を拭うための数々の我欲(貪り)・・・
天は罪という愛で赦そうと促しております。
その存在、またその大罪に気づき、
反省懺悔をしない限りは、
今起こっているような想定外の見えない艱難が
もっとエスカレートして起こり続けて参ります。
(以前より何度も申し上げておりますが)
もう一度、はっきりと申し上げておきます。
地球人類がそれに気づいて真の進化に向けて舵を切るか?
それに気づかず艱難が起こり続け、
恐竜の時代のように地球人類が滅亡
(シャットダウン→再起動)するか、です。
・・・縄文時代は獲物を弓矢で射ったり、
木の実を取ったりといった、狩猟採集生活を送っていました。
それが稲作文化が大陸から入ってきて、
大和政権がそれを利用し、定住させて農耕民族となり、
本州界隈は弥生時代に入りました。
その時々に余った作物を蓄えていくという
貯蓄方法も編み出していきます。
ところが、この「貯蓄」というものが、
人間の欲望(貪り)を増幅させていきます。
凶作などで「作物が取れなくなったら
自分たちは餓死してしまう」という自我(恐怖心)が
まず始めに発心されます。
次に自我の周りに
「凶作の時のためにどんどん蓄えておこう」
という我欲(貪る心)が増幅しています。
となると「森林をバンバン伐採して、どんどん畑を作っていこう」とか
「人のものが無くなっても/盗んででも自分のところに蓄えておこう」などと、
自己中心性がどんどん増えていきます。
これは今、日本で起こっているトイレットペーパーが
店頭から消えるという現象と全く同じ構図であり、
いかに日本人含む、地球人類における真の進化がなく、
無明のままであるかが分かります(=人=)南無☆
で、挙句の果てに「あいつら気に食わんし、
もっと欲しい・蓄えたいから、あの村全員殺して、
自分たちのものにしてしまえ」とかで、
殺戮・戦争が起こって来ました。
それに付随して、日本の宗教も、古神道のような
森羅万象に関する畏敬の念の顕れというたぐい
(大局的・全体的なもの)から、
個人的な病気平癒とか、商売繁盛とか、
良縁祈願などへの祈願に変化(へんげ)して行きました。
つまり、宗教/信仰分野も、低次元で多数派の人間に合わせて
大自然・森羅万象に対する畏敬の念の顕れから、
自己中心性に基づいた自我・我欲を満たすためのものに
成り下がった訳です。
ただし、太古の昔から続く、畏敬の念を貫く真の信仰も
今に遺っておりますので、
私は玉石混交の信仰世界も見極めつつ、
取捨選択しながら、本物のみを選んでおります。
そもそもなぜ、病気になるのか?
商売がうまくいかないのか?
悪縁ばっかりなのか?
その真意=天意を知るところから始めなければなりません。
それは、自らのまた自らの属する組織・家系の罪の顕れ
(もしくはよりよくなるための試練・前兆現象)であり、
その清算であり、より幸せになるための
出来事であるということです。
いくらご利益で有名な神社仏閣であろうとも、
自我から発心された願いはもう、
この地球では叶うことはありません。
それが【宇宙の法則】だからです。
「いよいよヤバい/来るよ」という念を、
地球の中心部に存在する大いなる意識体より観じており、
この手のことも発信しなければならない・・・
という【時期】が来たようですので、
自らの使命感において、記させていただきました。
この度のコロナショックは【終わり】でなく、
【本格的な始まり】です。
以上、ご参考までにどうぞ(=人=)☆