司馬遼太郎先生の
『街道をゆく38 〜オホーツク街道〜』の中で
多くの紙面が割かれている、北方民族の流れをくむ
少数民族「ウィルタ」について考察します。
偶然、一泊した鶴雅リゾートで出会った、
ウィルタ協会代表委員の弦巻宏史さんから
教えて頂いたことも併せて記して行きたいと思います。
詳しくは下記の個人の方のブログをご覧ください↓
(とってもわかりやすく、ウィルタのことや弦巻さんのことが記載されています)
https://ameblo.jp/tagatakazuki/entry-11895037363.html
ウィルタは「ウラァ(飼いトナカイ)とともに生活する人」という意味で、
樺太(サハリン)に暮らしている先住民族のことです。
現在サハリン・アムール川流域をふくめて300人ほどしかいなくて、
北海道(日本)にはほぼおられないそうです
(名乗り出る人がいないということなのかも)。
昔ながらのトナカイのソリを引いての移動生活は
当然のことながらもうロシア政府から
禁止されていてされていないでしょうね。
モヨロ遺跡などの北海道の
オホーツク海沿岸地域に眠るオホーツク人たちは、
遺跡にしか存在せず、はっきりとした思考形態や
生活様式は分かりづらいですが、
オホーツク人のような生活を継承し続けて来た
ウィルタの方々は現在も生きておられるので、
そのかたちが比較的掴みやすいです。
サハリンのあるロシアとは領土問題が横たわっており、
北方少数民族の研究が両国共同で
積極的に行われるということもないようで、
なかなか分からないという面もありますが、
10年前に亡くなってしまわれましたが、
日本(北海道)における最後のウィルタであられた
北川アイ子さんや弦巻さんのような、
ウィルタの外護者である日本の方々によって、
今この国で生きる私たちはウィルタ/北方少数民族のかたちを
比較的容易に知ることが出来ます。
なお、司馬先生がこの本の取材で網走に来られた時には
北川アイ子さんは生きておられ、直接お話を伺われておられます。
その取材されている場所に、弦巻宏史さんもおられ、
この本に弦巻さんのお名前も載っております☆
ウィルタの詳しいことは上記の
個人の方のブログを観て頂きたいのですが、
要は、「森羅万象に対する、絶対的な畏敬の念があり、
それがその民族の中心に置かれ、それに基づいた自然的な生活を送り、
継承し続けて来た」ということです。
土人として差別したのは明治政府で、
野蛮な民族として土人教育所というものを作り、
ウィルタを含め、千島・樺太・北海道アイヌなど、
北方の少数民族に日本語を教えたりするなど、
日本人との同化政策を行っていきました。
それに伴い国民もそのような少数民族を差別していきました。
司馬先生が著書の中で、下記のように記載されております。
最後に、これを記載したいと思います(=人=)☆
「私どもがアイ子さんの資料館を辞去してから、
弦巻宏史氏よりお手紙をもらった。
それによると、その後、弦巻氏はアイ子さんをともなって
道東の旅をしたという。
阿寒へ行き、アイヌの婦人たちと、アイ子さんは語り合った。
ひさしぶりに楽しそうだった。
話の内容は、弦巻氏の手紙によると、
自然(神々)とのふれあいのことどもだった。
子どもの頃、父と山に入って、或るところまで来ると、きまって、
『それ以上はダメだ』と教えてくれた。
神様が教えてくれているのだと言っている様だったね・・・・・・
それは、どんな所と教えてくれた。
ウィルタもアイヌも、おんなじだね。
このくだりは、私どもにも、わからぬではない。
私どもの意識の底に、山河に神々を感じる感情が、
埋(うも)れ火のようにしてのこっている。
要するにウィルタもアイヌも私どもも、おなじ仲間なのである。
さらにいえば、アイ子さんやエンチューやアイヌなどが保ち続けている
山河への畏敬だけが、人類があすへ生きのびるための
唯一の思想であるかとおもえる。」