3月18日(水)9:05分。
おかげさまで定刻通りに仙台空港に到着。
しばし仙台国際空港の中や周辺を見て歩いてました。
今でも忘れません。
あの日私は、マイカーで四国遍路中で
高知市内(28番大日寺)におりました。
宿泊先ホテル隣にあった観光案内所のテレビで、
この空港が大津波に飲み込まれている
映像を観ました(5枚目写真)。
その3週間前、日本商工会議所青年部の
全国大会参加のため、仙台に行きました。
加えて宮城県倫理法人会の方々に当時、
大阪府倫理法人会で行おうとしていた
新事業についてあれこれ伝授して頂き、
大変お世話になりました。
その時飛行機の中から見た仙台空港が、
3週間後にこんな姿になるとは・・・
何とも言えない気分になりました。
もしも3週間震災が早く起こっていれば、
私はもうこの世にいなかったかも知れません。
それにその時にお世話になった方々のことが
心配でなりませんでした。
後で知りましたが、何人かの方は津波にのみ込まれて
亡くなられたとのことです。
ということで、出来ることは本当に小さいのですが、
震災ボランティアに2回行き、そして被災地に伺い、
鎮魂と復興応援をさせて頂いております。
仙台空港にも「ここまで津波が来ました」と
案内が貼られています。
この手の案内は被災地のあっちこっちに貼られています。
「過去の出来事を風化させない。」
という決意の顕れなんだと観じております。
だけど、被災者でない私たちの心の中では、
どんどん風化が進んでいるような気がしております。
被災地のこと、被災された方々、
亡くなられた方々を忘れないという心が、
私たち日本人全員にとっても必要な気がしてなりません。
なぜなら日本は、世界は、地球は、
バラバラではなく【一つ】なんですから。。。