3月18日(水)9:05分。
おかげさまで定刻通りに仙台空港に到着。
しばし仙台国際空港の中や周辺を見て歩いてました。
今でも忘れません。
あの日私は、マイカーで四国遍路中で
高知市内(28番大日寺)におりました。
宿泊先ホテル隣にあった観光案内所のテレビで、
この空港が大津波に飲み込まれている
映像を観ました(5枚目写真)。
![](/img/u43837/FI4010316_0E.jpg)
その3週間前、日本商工会議所青年部の
全国大会参加のため、仙台に行きました。
加えて宮城県倫理法人会の方々に当時、
大阪府倫理法人会で行おうとしていた
新事業についてあれこれ伝授して頂き、
大変お世話になりました。
![](/img/u43837/FI4010316_1E.jpg)
その時飛行機の中から見た仙台空港が、
3週間後にこんな姿になるとは・・・
何とも言えない気分になりました。
もしも3週間震災が早く起こっていれば、
私はもうこの世にいなかったかも知れません。
それにその時にお世話になった方々のことが
心配でなりませんでした。
後で知りましたが、何人かの方は津波にのみ込まれて
亡くなられたとのことです。
![](/img/u43837/FI4010316_2E.jpg)
ということで、出来ることは本当に小さいのですが、
震災ボランティアに2回行き、そして被災地に伺い、
鎮魂と復興応援をさせて頂いております。
仙台空港にも「ここまで津波が来ました」と
案内が貼られています。
この手の案内は被災地のあっちこっちに貼られています。
「過去の出来事を風化させない。」
という決意の顕れなんだと観じております。
![](/img/u43837/FI4010316_3E.jpg)
だけど、被災者でない私たちの心の中では、
どんどん風化が進んでいるような気がしております。
被災地のこと、被災された方々、
亡くなられた方々を忘れないという心が、
私たち日本人全員にとっても必要な気がしてなりません。
なぜなら日本は、世界は、地球は、
バラバラではなく【一つ】なんですから。。。
![](/img/u43837/FI4010316_4E.jpg)