「宝慶寺にて」

先程アップしました「白山平泉寺」に続く、

司馬遼太郎先生の

『街道をゆく18 〜越前の諸道〜』を辿る

旅についてです(笑)♪

比叡山延暦寺にて、天台宗の開祖・

最澄のことについて観じたいと思い、

今年5月に行きましたが、

今回は曹洞宗の開祖・道元がメインの旅でした。

肉体的な死を迎えた人間であっても、

一度でも一瞬であってもこの世に存在した

人間のみたま(御霊)というものは無くなることはありません。

無くなったように、人間の思考が

勝手に認識しているだけです。

とりわけ、その人間の念がこもっている場所

(ゆかりの地)に行けば、よりその存在のかたちが

観得やすくなります。

世のため人のために何かを志し、

物事をゼロからイチにされた人の心(想い)に

触れてみたいというのが、

今の私が求めている重要な情報の一つです。

今の集積である【過去】には、

そのような偉人がたくさん存在し、

私は今という時間を使って【過去】を旅しに行ってます。

司馬先生も本に記載されておられましたが、

曹洞宗の総本山である永平寺は、

道元の死後からその想いに反して俗化

(観光地化)されて、現在に至っております。

従いまして、私の個人的な思考・価値観によって、

あまり足を向ける気が起こらず、

今回は行きませんでしたが、道元と共に中国で、

曹洞宗を学んでいた、中国僧・寂円がつくった

「宝慶寺(ほうきょうじ)」には行きました。

寂円は道元を慕い日本にやって来て、

道元の死後は永平寺界隈には残らず一人、

人里離れた山に篭もり、

曹洞の教えの真髄を愚直までに極めようとした僧侶で、

その寂円のために地元の有力者が

寄進したのが宝慶寺のはじまりのようです。

ってことで、私はメジャーな観光寺院(スポット)よりも、

マイナーやけど、粛々と真髄を貫いた場所を選んで行ってます。

この日の朝はあれこれとお仕事のメールが来て、

宿泊先ホテルを出たのが9時半になってしまいました。

で、到着したのが11時前。

本堂の中を見学していると、閑散とした境内が

急に慌ただしくなり、お坊さんたちが6人、

そさくさと本堂に集まって来ました。

「何かあるんですか?」と私の一番近くにいた、

いかにも修行僧という感じの若いお坊さんに聞きますと、

「11時からお昼のおつとめをいたします」

「え!?もしよろしければ、すみっこで

見学させて頂いてもよろしいでしょうか?」

すると、副住職と思われる、私と同世代っぽい

お坊さんがやって来て

「ええ、ぜひ、かまいませんよ。しかしながら、

前半のこの本堂でのおつとめのみとなります」とおっしゃり、

「前半だけでも全然かまいません!ありがとうございます!」と

喜んで参加させていただきました。

副住職さん、わざわざ椅子を持ってきてくださいました。

そして住職さんと思われるご年配のお坊さんが

最後に登場され、本堂の真ん中奥で読経され始めました。

お一人、白人系の外国の若いお坊さんがおられ、

かなつきの読経の本を見ながら一所懸命

唱えておられました。

そのお姿にとても感動いたしました。

15分くらいでその前半部分が終了し、

お坊さんたちにお礼を行って去ろうとすると、

住職さんが「せっかく大阪からお越しなんですから、

この後のもかまいませんよ」とおっしゃってくださいました!

住職さんは来客のために、

前半終了後におられなくなりましたが、

副住職さんが「どうぞこちらへ」と本堂の奥(ご本尊の裏)

へと案内してくださり、さらに階段のある渡り廊下を

20段くらい上ったところに、

6畳くらいの板の間がありました(驚)!

ここがこのお寺で最も神聖な場所だということが

すぐに分かりました。

そこには、小さいながらも年季の入った仏様が

真ん中奥におられ、その周りにずっしりとたくさんの

位牌が置かれていました。

そこで副住職さんが真ん中に立って、

周りに若いお坊さんたちが立って、読経されるのです。

私は階段側のすみっこでじーっと立って観させていただきました。

なぜか泣けてきました。。。

その空間、全てが美しく感動したのです。

人の祈りって、こんなに美しいもんなんや・・・と。

嗚呼、、、

この営みは寂円禅師の時代から700年間、

粛々と続けておられる、祈りなんやなぁ。。。と。

幾重にも重なった祈りは、

位牌となられた方々も共にこの地で

続けておられるんやな。。。と。

私たちは一人で生きている、

一人でがんばっているように見えて、

実はこんなところでも、毎日毎日変わらずに、

私たちのために祈り続けてくださる方々がおられるんやな。。。と。

ほんと、一人でがんばっている訳もでもなく、

一人で生きてる訳でもない。

そんな愛の想念(祈り)がその6畳くらいの板の間から

無限の宇宙へ/必要とされている人のもとへと

拡がっていく感覚を覚えました。

そして、真に美しい人とは、

【自らの意志でやろうと決めて来たことを、

一所懸命やり続ける人/精進する人】

であるということを、宝慶寺のお坊さんの

真摯なお姿から教えて頂きました。

今はコロナの影響で休止中とのことですが、

日帰りや一泊、三泊程度の「禅体験」を

されておられるとのことですので、

今度はその体験をしにまた宝慶寺さんに

伺いたいなと思います。

ありがとうございました。

宝慶寺 紹介ホームページ(福井県大野市)

https://www.ono-kankou.jp/tourism/detail.php?cd=35