美貌の俳人

日 時 2020年9月10日(木)10時〜11時30分
 大阪の新興住宅として開発・発展した南部の帝塚山にモダニズム
の香り高い文学が・・・
 その帝塚山派と呼ばれた文学学会の中から、美貌の俳人・橋本
多佳子についてお話しがありました。
 彼女は、1899年(明治32年)に東京で生まれ、18才で建築家・
実業家の橋本豊次郎と結婚して夫の赴任先である小倉に転居し
ました。
 やがて「櫓山荘」を建てて移り住んだ時に高浜虚子が来遊し、
句作を始めることになります。(地元の杉田久女に師事)
 そして「ホトトギス」に「たんぽぽの 花大いさよ 蝦夷の夏」が初入選しますが、これは北原白秋らと橋本夫妻が樺太・北海道旅行した時のもののようです。
 その後義父の死去にともない帝塚山に転居し、杉田久女から山口誓子を紹介され師事します。
 戦後は、中村貞女・星野立子・三橋鷹女とともに「4T」と言われ、俳壇の女流スターになっています。
 さて彼女の句集ですが、第1句集「海燕」、第2句集「信濃」、第3句集「紅糸」、第4句集「海彦」があり、死後に遺稿集「命終」が刊行されました。
 また代表句としましては、「曇り来し 昆布干場の 野菊かな」(海燕・ホトトギス入選)、「さびしさを 日日のいのちぞ 鴈わたる」(信濃)、「いなびかり 北よりすれば 北を見る」(紅糸)・・・等々。