この16でようやく、青森旅日記も終わりです(ほっ)。
岩木山神社から青森空港へ向けて
レンタカーを走らせてますと・・・
「りんご(3つ)100円」
という驚愕の安さで販売されている
「無人販売所」がポコポコ出てきましたので、
スーツケースの隙間に入るだけの
りんごを購入しましたぁ〜^^♪
さすが、日本一のりんごの産地ですよね(アッパレ☆)
青森県界隈に稲作文化(米による民衆支配)及んでから、
寒冷地でしかも雪深い津軽地方を中心に
「けかち(飢渇)」となり、江戸時代には
およそ五年に一度、凶作となって
多くの餓死者を出し続けて来ました。
上記自然現象に加え、江戸時代の津軽藩に於ける
政治のやり方にもかなりの問題があったようです。
その深い悲しみや苦しみ絶望感は、
比較的温暖で稲作に適した、
また武士(支配者層)が殆どいなかった
天領で生きていた先祖を持つ私には
理解し辛い部分もあります。。。
津軽藩が治めていた弘前を中心に、
今も多くの慰霊塔が遺っています。
私はそのみたまたちに祈り(ヒカリ)を捧げます。
明治に入り、けかちの元凶であった稲作から開放された
青森県界隈の人たちは、寒冷地でもよく育つ
(しかも高付加価値のある)、
りんご栽培を積極的に行っていき、今に至っています。
りんごは青森県人の命を救う、
“赤いみたま(いのち)”なんだと思いました。
青森は東北の地方都市なので、
大都市に比べて好景気・バブルとか
あまり無かったそうですが、それでも現代は
よほどのことがない限り、餓死することはなくなりました。
現代は品種改良され寒冷地でもちゃんと育つ稲もありますし。
ほんと、おかげさまで良い世の中になりました。
三内丸山遺跡を始めとする青森県内並びに
同文化圏内の縄文遺跡の発掘によって、
青森は日本国の端/僻地の「けかち」ではなく、
豊かな実り多き「北のまほろば」で
あったということが分かってきました。
この地を実際に旅させていただき、
この令和の時代に於いても「まほろば」
であるという確信を深めました。
たくさんの物やお金が無くても、
古き良き文化や歴史(先人たちの智慧)が
たくさん遺っていて継承されている。
外部環境が過酷だからこそ、人々の絆は深く、
助け合って分け合って生きている(内部環境の充実)。
そのように観じました。
かつて三内丸山遺跡で生きていた
縄文人のDNA(生き様)を最も色濃く継承されているのが、
地元青森の方々なのではないでしょうか。
我が国は南北に細長く、多種多様な
歴史、風土、生活習慣、価値観を保有する国家です。
日頃の大阪・関西の生活圏には無い、
または少ないものが、旅先には豊富にあったりします。
(逆に大阪にたくさんあって、旅先には少ない、無いものもあります)
今後も【旅という名の行(ぎょう)】を通してでも、
多種多様な価値観や歴史(先人の智慧)を学び、
自らの人生に活かして参りたいと思っていますし、
そこから得た学びをこのブログ等で
多くの方々と共有し発信して、
全ての進化成長・幸福に貢献して行きたいと思っています。
お世話になったみなさま、ありがとうございました。
一日も早くコロナが収束し、
観光業界や運輸業界が元通りになり、
ますます繁栄しますように。。。(=人=)☆