「北のまほろば 青森旅⑥/斗南藩」

24日(土)夕方。一旦青森空港に戻り、

政経倶楽部大阪支部のオジサマ方とお別れ。

大阪に帰って行かれました。

私と友達のゆうきちゃんの二人が残り、

空港のレンタカー屋さんで、今度はコンパクトカーを借りて、

一気に下北半島(むつ市)まで行きました!

翌朝25日朝は、むつ市にある、

斗南藩の旧跡地を探訪しました。

「斗南(となみ)藩」とは・・・

会津藩主で京都守護職だった松平容保(かたもり)が、

戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦した為、

明治元年(1868)に会津領を没収され蟄居させられ、

嫡子の容大(かたはる)が陸奥の北端・・・

今の下北半島のむつ市あたりの僻地(3万石)を与えられ、

斗南藩を立藩しました。

本州最北端の稲作が困難な僻地に

会津若松の武士たちが流浪の民の如く移住し、

過酷な環境下で開墾されるなど、

涙無しでは語れないご苦労をされた。。。

という深い悲しみの歴史があります。

素直で実直、誠実だったからこそ、

ずる賢く逃げることなく、「歴史のハズレくじ」をひいてしまい、

朝敵という汚名を明治政府によってつけられ、

酷いめに遭わされてしまいました。

私は個人的に、そんな旧会津藩(会津魂)がカナリ好きなので、

いつか斗南に行きたいと思っていました。

会津藩士・斗南藩士に鎮魂の祈りを捧げるべく、

まずは斗南藩の藩庁が置かれた円通寺と

幼い松平容大の遊び場だった徳玄寺へ。

円通寺には戊辰戦争の三十三回忌に建立した

奮戦むなしく亡くなった会津藩士を弔う招魂之碑がありました。

明治になってからもう150年経っておりますが、

今でも会津武士の子孫が弔っておられるのでしょうね(=人=)☆

斗南藩史跡地や旧斗南藩士らのお墓にも行きました。

大河の歴史の中にある光と影。敗者という影に存在する、

その人々の生きざまに光を当てることによって観えてくる、

真実(想い)というものを私はこうして

一つずつ丁寧に集めてはヒカリにして天に還し、

と同時に自分の心に徳や智慧、

感動と感謝というカタチで貯蓄し続けております(=人=)☆

●下北ナビ「斗南藩 史跡」

https://simokita.org/sight/tonami/