備中松山城(岡山県高梁市)、美濃岩村城(岐阜県伊那市)、
そしてようやく高取城(奈良県高取町)に行き、
【日本三大山城】を制覇し、
ちょっとした幸福感を味わってます^^♪
これら3つの山城で天守(閣)が
遺っているのは備中松山城のみですが、
天守の無い「城址」というものが持つ、
独特な【侘び寂び感】がとても気に入ってます。
鉄砲が日本の歴史上、戦(いくさ)で
使われなかった時代、山城は
「攻められにくい/守りやすい」ということで
その地を治める武士には重宝されていたのですが、
鉄砲伝来と共に戦の方法が画期的に変わり、
山城が必要じゃなくなって行ったとのことです
(ただ見晴らしがいい場所にあるので、地政学的な
「見張り台」的な要素では遺ったかと推測されます)。
時代が捨てていった・・・
現代における資産価値がかなり低い山奥に遺された「城址」は、
令和の時代に生きる私たちが中世/
戦国の世の人々のイブキを観るのに、
格好のロケーションとなっています。
まさに「ツワモノドモガユメノアト」。
雪がちらつく平日の、しかもコロナ渦の中、
こんな山奥に訪れる人はほぼおらず、
私は一人“風水”となり、時空と一体化〜虚空〜となって、
歴史の彼方から聞こえてくる、
ツワモノドモのコトバを聴いていました。
まさに万感の境地、至福の時間です。
いくら人間の時間的な流れである
歴史というものが変わろうとも、ここからの景色、
自然というものは変わることがない。
太陽の輝き、雲の流れ、風の囁き、
森や大地の囀り、そして雪の舞・・・。
私の手のひらに落ち、一瞬で水になって消える雪は、
まさに私たちツワモノドモの儚き人生と同じ。
雪には悲しみも苦しみも、また失望も絶望もなく、
何らかの意味や目的、役割を持って生まれ天から落ち、
私の手のひらで水になり、
そして水蒸気になって天に還ってゆく。。。
人間は大自然の一部であるからして、この雪、、、
森羅万象と同じ法則に則り、命の営みが行われている。
私たち人間も大自然/宇宙そのものであり、
森羅万象から全てを観、
全てのいきかた・答えを見いだしてゆく。
今の世の中は、様々な感情と悪想念という名の
虚実〜まやかし〜で溢れ、半ば狂乱的で
ザワザワした状態が続いておりますが、
私はツワモノドモに見捨てられ置き去りにされた石垣の如く、
そのツワモノドモがどうなろうとも微動だにせず、
平常心&不動心の境地で過ごして参ります。