今回、讃岐に行った理由は、
オークラホテル丸亀で開催された、
一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会主催
「第55回 先達研修会」に参加するためです。
全国から300人以上来られていて、熱気ムンムンでした!
おかげさまで12月8日、
【公認権大先達(こうにんごんだいせんだつ)】
に昇補いたしました。
ご縁あって29歳の終わりに始めて四国遍路をし、
様々なご縁を得て公認先達に、
そして今日、権大先達になりました。
これからもご縁続く限り、
同行二人(どうぎょうににん)でいろいろな人、
またいろいろな存在と共に、
このお四国の道もステキに歩んで参りたいと思っています。
研修会ですので、複数のご住職から
いろいろなお話を伺いました。
最も印象に残ったお話は、
80番讃岐国分寺のご住職による
「2歳児の注射後について」のお話です。
ご住職が病院に行った時に、お母さんに連れられて
2歳児が注射を打ちに来ていたそうです。
注射した後もずっとずっと激しく泣き続けていたそうです。
どうしてそんなにずっと泣き続けているのか?などを、
ご住職はそのお母さんに聞かれたそうです。
そこでご住職はあることに気づかれたとのことです。
いくらお母さんが自分(2歳児)に事前に何も言わず、
いきなり自分に注射を打たしたとしても、
注射の痛み(恐怖の瞬間)はもうとっくに
終わっているのです。
にも拘らず、ずっとずっと激しく泣き続けているのです。
「この2歳児と、私たちは同じである」とご住職はおっしゃいました。
と言いますのも、注射を打った瞬間・その恐怖の出来事は
もう過去のことなのです。
だけど、その2歳児の中では、その過ぎ去った
(既にもうなくなった)過去を、何度も何度も思い出し、
その恐怖を何度も何度も繰り返し体験し続け、
時間が流れてもそこから抜け出せないでいるのです。
果たして、過ぎ去った・・・もうどうすることも出来ない
(=もう消えて存在しない)過去に、
自らの自発的意志により囚われ続けていることは
【執着】そのものであり、
その過去という名の執着こそが、その人、
その人生【今】を不幸にし続けているというのです。
な、なるほど!と、分かりやすい例え話に
深くガッテン☆いたしました。
実は今年8月(コロナ渦真っ最中)に私の父が闘病の末、
彼岸の方に旅立っていきましたが、
いくら娘の私がお四国修行をたくさんしていたとしても、
「もう少し、こうこうしてあげたら良かったかも・・・」という
父に対する後悔や懺悔といったものが少し残っており、
時々それを思い出しては、
私の心に縫い針のような小さな針がチクッ☆と
ささるような気分になっていましたが、
その針は、私の中に確実に存在する自我の一種である
【執着】というものだった!と、
その正体(実相)に気づかせていただきました。
過去はその過去として、私の人生の棚に、
アルバムのように美しく並べ収めておきますが、
最も大切はことは起きてしまった過去ではなく、
未来、、、未来を築くための【今そのもの】である!
ということが心にストン☆と落ちた瞬間でした。
元気で長生きをすることはとても幸せなことなのですが、
逆に親を始めとする大切な方々を彼岸へと見送ることが、
これから更に増えて参ります。
そんな意味でも、今後もお四国等の修行実践を通して、
弔うこと、祈ることを確実に磨き高めていきたいと
改めて観じたステキな研修会となりました。
霊場会のみなさま、ありがとうございました(=人=)☆
あと3年で、いよいよ【大先達】です。
やはり、今までの藍色の中先達のワッペンとは違う”何か“が、
柿色の権大先達のワッペンにはあり、、、
めちゃくちゃ緊張感があり、意識次元がまた更に上がりました。
引き続き、楽しくステキに精進いたしま〜す(^0^)!