栗田神社は、栗田 定之丞(くりた さだのじょう/1768〜1827)

をお祀りした神社です。

秋田市郊外のちょっとした集落の中にポツンとあります。

栗田 定之丞は江戸中期の久保田(秋田)藩・家中(藩士)だった方で、

『街道をゆく29 〜秋田県散歩〜』の中で、司馬遼太郎先生曰く

「定之丞の人柄、境涯、そのよさというものは、

江戸中期の家中の(もちろんよいほうの)典型でいっていい」。

我々現代人の生き様の師でもあります。

定之丞が壮齢に達した時、ロシアを始めとする異国船が

頻繁に出没していたため

(※久保田藩は日本側に面している為、ロシア船が多い)、

海岸沿いに番所を作り、そこの番人になったのですが、

異国船の脅威よりも、毎年冬〜春に大陸から飛んでくる多数の砂が、

藩内の田畑だけでは無く、家々も砂に埋もれていくという

状態に脅威を覚えた定之丞は、

どのようにすればこの脅威を減少させれるか?

独自研究を重ねた上、海岸の砂地に植林をするという

【植林堤防】を作ることを思いつき、

「砂留役」というお役を藩から貰い、右往左往しながら

一所懸命時間をかけ、そして人生をかけて

【植林堤防】を完成させて行かれました。

定之丞の死後も、定之丞が考え出した

「栗田方式」の植林方法を継続し、

江戸末期には数百万本の松原が久保田藩領の長い海岸を覆い、

砂から田畑/人間の生活を護ることが出来たとのことです。

定之丞の死後、多くの人の想いがあって

安政四年(1857)にこの神社が出来ました。

この神社も植林堤防同様、松籟の中に鎮まっており、

非常に爽やかで清らかな空間が広がっていました。

現地に赴き、個人的に残念だったことが一つだけあります。

栗田 定之丞翁が祀られている栗田神社の本殿への参道は

全く除雪されていなくて、その入口の鳥居の右横方向に、

後付けされたっぽい、小さな稲荷神社までの

道のみ除雪されていて、そのことに“違和感”を覚えました。

そもそも最初この地に出来た神社は、

かつてこの地を砂の害から護った栗田 定之丞翁を

祀った栗田神社の本殿です。

この後付けの小さな祠はしっかり除雪する・・・

つまり、現代の人はそこのみ祀られている目の前まで行って

シッカリお参りするって、栗田 定之丞翁は、

どのように観じられるのでしょうか・・・

ってまー、翁からすれば、他愛のないことでし、

信仰は自由ですからね。

雪をかき分け、道を作り、私は栗田神社の本殿のみを

お参りをさせて頂きました。

せっかく大阪から来たのに、

ここまで来てお参りしない訳にはいきません(笑)。

定之丞翁のように、清貧なる心身で持って、

大局を観、遥か彼方の未来までを見据えて、

使命役割を全うしていきます(=人=)宇留祈☆

栗田神社(秋田県神社庁 ホームページ内)

https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/shrine_search/%E6%A0%97%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

【写真】

栗田神社(1〜4枚目)

栗田神社近くを流れる雄物川の風景

(5枚目/栗田神社方面を撮影)