『古事記編纂1300年記念』・・・公開講座

(%赤点%) 公開講座『古事記編纂1300年記念』の報告です。
・日時:3月20日(火)午後1時〜4時30分
・場所:近つ飛鳥博物館 地階ホール
・演題
○午後1時〜2時30分
『古事記が語る三種の神器』
・講師:田中 千晶先生(甲南女子大学兼任講師)
○午後2時45分〜4時15分
『古事記と日下』
・講師:平林 章仁先生(龍谷大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*右上は、『古事記』の写本です。⇒和銅五年(712)に撰進された『古事記』は原本がなく、応安四年(1371)〜1375年の書写である真福寺宝生院蔵(名古屋)にある『真福寺本』が写本で最古のものです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
○『古事記が語る三種の神器』(田中千晶先生)
[要約]
◆「三種の神器」の初登場場面
 ・「天の岩屋戸」の物語・・・①八尺(やさか)の勾玉(まがたま) ②八尺の
 ・「八岐のをろち退治」の物語・・・③草那芸(くさなぎのつるぎ)
◆「天孫降臨」時、最も重要なのは「鏡」だけであった。
◆草那芸剣は、人代(「倭建(やまとたける)の物語…東征」)においても武力に関する物語が展開され、皇位に必要なものとして扱われていない。
◆古事記において、「三種の神器」という言葉は使っていない。

◇八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)(草薙剣)を「三種の神器」として、皇位を保証するものとする考え方は、『古事記』『日本書紀』の時代からの観念ではなく、平安期から中世期にかけて形成された。
◇現在では、八咫鏡は伊勢神宮に、天叢雲剣は熱田神宮に神体として奉斎され、八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されている、とされている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
『古事記と日下』(平林 章仁先生)
[要約]
太安万侶の意図
・古事記「序」で太安万侶は、「・・・・・姓に於きて日下を玖沙詞と謂ひ、名に於きて帯の字を多羅斯と謂ふ、此くの如き類は、本のままに改めず。・・・」
・日下・帯は、音・訓のいずれにてもクサカ・タラシと読み難いが、なぜ太安万侶は難解な表記をそのまま採用したのか。→要するに、そう記さなければならないという太安万侶の歴史観を反映したものであったと考えられる。
★神武天皇と日下
・初代天皇神武の東征で、大和入国の際の長髄彦(ながすねひこ)との激戦地として、初めて「日下」の地が登場。
★安康天皇(雄略天皇の父)
・大日下王(おおくさかのみこ)と根臣(ねのおみ)⇒根臣の讒言で安康天皇に殺された大日下王
・目弱王(まよわのみこ)の変⇒七歳の目弱王、仇の安康帝の頸を切る
★雄略天皇と「日下の直越(ただこえ)」
・雄略天皇、日下にいた若日下部王(大日下王の妹)を娶る

太安万侶が「日下」の表記に拘った背景には、王権・王家に関わる忘れがたい重い歴史が存在した。
・太陽神が天照大御神(アマテラスオオミカミ)に収斂する過程で、この神を皇統に一元化する是非をめぐって氏族間にかなり争いがあったと考えられる。
・古事記だけが、なぜか「日下」の字を当てている。(日本書紀には、「草香邑」「草香津」「孔舎衛坂」)
・天皇家と日下の密接な関係がある重要な地…日下の地(大阪府東大阪市の生駒山西麓)
・河内日下は、諸県君を核とする日向・隼人系集団の移住地であり、そこから出て入内した女性の儲けた王族「日下宮王族」の拠地でもあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%青点%) 学芸員による展示品解説
*当日、午前11時から「地階特別展示室」で小林学芸員による展示解説(歴史発掘・おおさか2011)があり、20数名の受講者が参加しました。(右の写真)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*アンケートより(感想)(抜粋)
・「太安万侶が日下という字にこだわった話が面白かった」(女性 70代)
・「古事記は神々の名が沢山出てきて、ややこしいと思っていましたが、先生のお話で、とても楽しそうと思った」(女性 70代)
・「古事記が語る三種の神器」はわかり易く、おもしろくもあり興味があった」(男性 70代)
・「古事記と日本書紀を比較しながらの内容が興味深かった」(女性 70代)
・「古事記の話、あまり聞く機会が少ない中で大いに参考になった」(男性 60代)
・「わかりやすく話してくださり、資料も多く有意義でした」(女性 70代)
・「日下のことについて、くわしい話を聞いたことがなかったので楽しく聞かせていただいた」(男性 60代)
・「日本の王家の成り立ちについて・・・アウトラインらしきものが解かったような気がしました」(男性 70代)