一刻も早いボランティアによる支援を

被災地を車で走ったり歩いたりしていて違和感を覚えるのは、壊れた家屋や障害物で閉ざされている道路などを片付けようとしている人の姿をほとんど見かけることが極めて少ないことです。これまで関わらせていただいた被災地では、発災から1か月も経つと、あちらこちらで家の片づけをする住民やそれを手伝うボランティアの様子が見受けられるようになっていました。

今回の能登半島の地震災害による被害は、輪島の朝市で起こった火災に代表される都市型の災害と、新潟県中越地震の時に起こった中山間地での土砂災害、東日本大地震の時の津波被害などがいっぺんに起こったような状況で、極めて厳しいものであることは否めません。しかしながら発災から1か月が過ぎてもなおダメージを受けたまちの復旧や復興に向けた人々の営みや息吹が感じられないのはなぜなのでしょうか。

最近ではあまり報道されなくなりましたが、実際に現地に出かけて被災者の皆さんとお話ししていると、朝ごはんもお昼ごはんも満足に食べられていないという声や、地震によってつらい思いをしてきたことを1か月経って初めて話すことができたと涙される方もいらっしゃって、外部からの支援の手がほとんど入っていないことをひしひしと感じます。道路や家屋があまりにも甚大な被害を受ける一方、高齢化も進む中、自分たちだけではどこから手を付けていいかさえわからないのではないでしょうか。

そうしたなか2月3日土曜日の午前8時前には、金沢駅北側のロータリーで石川県が段取りしたと思われるボランティアバスが並んでいるのを見かけましたし、七尾市をはじめ、いくつかの自治体で十人単位のボランティアの受け入れが始まったと伝えられるようになりました。一方、のと里山海道を金沢から輪島方面に向かっていると、羽咋市の柳田インターの辺りで、今も緊急車両や工事車両などに限定して、一般車両を規制しようとする試みが他府県からの警察車両などによって継続されています。確かに道路事情はまだまだ不十分で、余震も続く中、被災地に過度な負荷がかかったり、二次災害を防ごうとする趣旨はわからないではないのですが、果たして本当に被災者の皆さんにとってベストな選択なのでしょうか。

また、輪島市や珠洲市では、受け入れる準備が整っていないとして、今もなおボランティアの受け入れが始まっていません。確かに阪神・淡路大震災の折には思い思いに全国から駆け付けたボランティアが、指示待ちになって十分な活躍ができないまま帰らざるを得なかったケースが数多く報告されました。そうした反省から、その後の災害では、ボランティアセンターという仕組みがつくられて、被災者の皆さんからのニーズを集約したり、ボランティアとして駆け付けた人々を支援しようとする試みが始まりました。一方で、必ずしもボランティアセンターを介さずに思い思いに活動するボランティアの皆さんも数多くおられて、被災地の中で様々な活動が重層的に広がっていくなかで、復興に向けた歩みが着実に進んでいく様子が見受けられるようになりました。

しかし、今回の能登半島地震の現状を見たとき、ボランティアによる活動は、未だ本格的なスタートラインにすら着けていないように思います。そもそも準備が整っていないからボランティアを受け入れられないというのはおかしな話です。今回の地震災害で行政や自治体職員も大きなダメージを負っておられることは想像に難くありません。だからこそ、行政とは別の原理で行動するボランティアに任せることが必要だと思います。

行政も被災した今こそボランティアの受け入れや支援は、ボランティアやボランタリーなセクターに委ねるべきだと思うのです。行政が手に負えるスピードやコントロールできる範囲で歩みを進めようとするのではなく、行政は行政でなければできない分野に重点を置き、ボランティアをはじめとする市民セクターや、民間企業の皆さんの力を結集して、復興に向けた力強い取り組みを進めて行くことが、被災地や被災者の皆さんの願いにかなうのではないかと思います。一刻も早いボランティア活動の本格的なスタートを切に願います。