お早うございます。2月も半ばになりましたね。先日から1年半ぶりにシルバーの仕事をはじめました。
仕事のない日は100年前ごろに書かれた小説を読んで「人間の姿」を探っています。僕は普段小説を読みません。芥川龍之介、遠藤周作、司馬遼太郎、曽野綾子などが言うように「うそつきしか小説は書けない」「嘘をつくことが仕事の小説家」「言葉遊びが巧みな小説家…」というように、「現実=ノンフィクション」ではない(?)からです。しかし、小説で描かれた「人間像」は面白い。谷崎潤一郎の「痴人の愛」(大正12年前後)では、「日本の女性の第一の短所は確固たる自信のない点で、顔立ちばかりを気にして才気渙発な表現がない」、武者小路実篤の」「友情」(大正8年)では「他人によって自分の気持ちが上がり下がりするのが分からなかった」、太宰治の「人間失格」(昭和22年)では、「自分は幼く、悲しい道化の一種で、人間恐怖は募るばかりだが、演技は実にのびのびしていた…」、ヘルマンヘッセ「知と愛」(昭和34年出版)「女と愛は妙なものだ。逢引の場所を示す時だけ言葉を必要とした」、アンドレジード「放蕩息子の帰宅」(1907年作品)では「努力なしでは人間は何一つ偉大なこと、価値あること、永続的なことを成し得ない」…。
有名な作家の作品を読んで「現代の人間と変わらないな! 見てくればかりを気にする心の弱い人間」という読後感でした。