佐渡・新潟旅①「『街道をゆく10 ~佐渡のみち~』後追い旅」

【過去の日記です】
2024年10月17日更新
10月9日(水)~12日(土)、新潟県にあります佐渡島をメインに、新潟へ行って参りました。今回の旅のお供も司馬遼太郎先生の『街道をゆく』シリーズです^^♪
今回の3泊4日の濃厚な旅内容を12の日記で報告させていただきます!
まずは司馬先生も行かれたという、佐渡市立佐渡博物館へ行き、佐渡の概要をさらっとお勉強!
昔は全国各地にあったという、【一里塚】(江戸時代、全国の諸街道に一里ごとに土を盛り、樹木を植えて里程<りてい>の目標とした塚)である「羽茂の一里塚」で、江戸時代の道路事情を観じ、、、また、村の入口に祀る悪人や疫病が入って来ないように魔除け的な機能を持つ【大わらじ】「倉谷の大わらじ」を観て、
かつての一般の人たちの知恵や信仰を垣間見ることができました。
今は、佐渡島のような、いい意味で時代に取り残されている/都市開発に乗り遅れた、古き良き、日本の原風景が残る、美しい場所でしか残っておりません。
さらに、「蓮華峰寺」(通称:小比叡)にもお伺いさせていただきました。比叡山のような・・・はたまた高野山の奥之院ような、凛☆とした鮮烈な氣が充満する、本当に美しいお寺でした。
1652年、このお寺を舞台にした「小比叡騒動」がありました。
・・・かつて相川町奉行だった辻藤左衛門信俊が上役との軋轢から騒乱となり、一族と共に蓮華峰寺に立てこもるという事件。
辻藤は世情に通じ有能であったため相川町奉行に大抜擢されたが、当時、佐渡奉行所に横行していた役人の腐敗、不正を憤り上役に綱紀粛正を迫ったため、上役、同輩から疎んじられ、抜擢人事への妬みもあり次第に孤立。些細な不始末を理由に小木町番所役に降格、左遷されると辻藤は江戸への告発を試みる。
が、知人に託した訴状が船の難破で海岸に漂着し、この告発状が上役に知られると、辻藤と奉行所の対立は決定的に。
役向きで相川に向かった辻藤が旧知の住職を訪ねるため蓮華峰寺に立ち寄ると、奉行所側はこれを謀反篭城であると断罪して武力鎮圧に向かった。辻藤とその一族は蓮華峰寺と、寺に隣接する小比叡城に立てこもり応戦するが、最後には全員が自害した。辻藤に加担したとみなされた蓮華峰寺住職の快慶は獄門にかけられた。
・・・境内には快慶の供養塔もあり、綺麗に清掃がされていました。
義というもの、そして仏の教えに忠実に生き、最後自害された、美しい方々のその生き様は、400年近く経った今でも、ひっそりとですが、今を生きる我々に、真実に生きることの大切さを教えてくださいます(=人=)☆
なお、この蓮華峰寺を含め、佐渡島には四国八十八ヶ所霊場の“模倣霊場”である、「佐渡八十八ヶ所霊場」があるそうですョ↓
霊場会もあり、僧侶と巡る佐渡へんろツアーも開催されているとのことです。四国遍路歴17年のよしこちゃん、佐渡にも遍路道があるって、初めて知りました(笑)♪