東日本復興支援ボランティア(パラソル喫茶)に参加して

写真→仮設住宅

2012年3月31日〜4月1日、東京駅を出発のバスツァー、10日前に情報を得ての慌しい参加、仮設住宅訪問、パラソル喫茶ボランティアに参加して、初めて被災地に入りました。
東京駅→福島→仮設住宅(住民との交流)→高湯温泉泊、高湯温泉→東松島津波被害跡地(仙石線東名駅)→仮設住宅(パラソル喫茶)→東京駅

NPO認知症予防ネットでは「仮設住宅での認知症激増」と心の痛むニュースを聞き、仮設住宅訪問やボランティア募集がないだろうかと、アンテナを張っていました。

今回の企画を見つけて、仮設住宅訪問があるので何かの手がかりを得られるだろうと、理事長に相談し仲間と二人で出かけました。

どのような展開になるのか判らないまま、予防ネットのチラシ、機関紙、スリーA方式予防ゲームのテキスト・DVDを荷物に入れました。理事長手作りのお手玉・じゃんけんゲームのリボンも託されました。

準備期間が少なかったのと土地勘の無い東京駅出発なのが、少し不安でしたが、現地訪問、現場をみるだけでもと元気に出発できました。

「パラソル喫茶」とは、17年前の阪神淡路大震災の仮設住宅での孤独死が増えてきたのを防止しするために、NPOが立ちあげたそうです。仮設住宅の集会所の前にパラソルを広げて無料で珈琲・紅茶・お茶の接待をして、住民と交流をする。
それを復興支援の応援部隊が駆けつけて開催するというのです。

バスツァー主催者の「NPO市民福祉全国連絡協議会(市民協)」は、高齢者や障害者の生活を支援している福祉系市民団体の全国レベルの協議会でした。

市民協は、3・11の地震発生後、いち早く当該地区の加入団体の安否を確認するためネットワークを使い奔走。グループホームやデイサービスなど緊急性の被災NPOから立直しのお手伝いされています。

パラソル喫茶を計画するにも、仮設住宅に許可も得なければならない、NPOといえども親しくして信頼を得なければ、開かせてもらえないので、同じ住宅に何度も足を運んで仲良くなってはじめて計画を立て、応援部隊を募集されたそうです。

今回は、初めて福島の原発関連の仮設住宅でのパラソル喫茶と聞きました。

各仮設住宅には色々な注意しなければならないことがあり、特に原発関連の方々には「地震津波の天災に加えて人災(原発)への怒り」が渦巻いているので、交流するときには「傾聴に徹してほしい」との注意がありました。

また、地震で家が全半壊しても被災していないとまで言われかねない事情がある・・・津波で家を失い家族を失った被災者と気持ちの上でランク分けされているのだそうです!

募集期間が短かったので12名の参加で、主催者は「赤字ですが、現地に待っていてくださる方が居るので、行くと決めたら行く!」と熱い思いが伝わる企画でした。

第一日目<福島の仮設住宅訪問>

県境には普通何もないよね?
でもいま、福島の県境には「壁」がある!
産地が福島と書いてあるだけで、売れない・・・
こんな言葉に出会い、日本人どうしたの? と切実に思いました。

JA福島では、軽い昼食と農産物のお買い物・・・私は福島産こしひかり玄米・長人参・山芋・自然薯・あさつきを宅配で自宅に。同行の中野は果物とお野菜を宅配で送っていました。小さいことしか出来ませんが、ささやかな協力です。

150軒建てられ50軒弱の仮設住宅。集会所の前では「浪江やきそば」(肉ともやしと太い麺・B級グルメ3位)を振舞っていただき、ボランティアに来ているのに美味しいものの接待を受けました。子達も元気でした。

生まれたての自治会長さん、現地支援デイサービスの須田さんの挨拶、主催者から農機具購入費用プレゼントがあり、住民と私たちの交流が始まりました。
農機具代=空き地に畑を作りたいね、クワが有れば〜の声を聴き、プレゼントされたそうです! 次回訪問時には、きっと畑が出来、野菜の芽が出ていることでしょう! 楽しみです。

私たちは、同年輩の男性に、焼きソバを作ってくれていた女性が加わって、話が出来ました。

・ 大きな大きな地震で日本がなくなるのではないかと本気で思った
・ 揺れているうちは立っていられなくて、床に四つん這いになったが、それでも地面から突き上げてくるので身体がぴょんぴょん跳ねるんだぞ〜わかるかぁ?
・ ここに落着くまで、何箇所も居場所を変えたが福島ナンバーの車は足蹴にされてぼこぼこ! 孫たちはいじめに合うので辛かった
・ 強制立ち退きって惨い! 年寄りたちは我が家で過ごしたいと頑張ったが、自衛隊がきて無理やり引っ剥がされて抱えて連れ出す、判るか?!
・ 関西も琵琶湖が放射能汚染されたら福島の二の舞になるんだから、しっかり守るんだ!・・・何度も何度も言う・・・京都も奈良も人が住めなくなったら日本の文化がなくなる! と心配してくれるのです!

男性はいまの住宅で妻と妻の身内二人(要介護)の4人暮らし。女性は夫と二人、向かいに子供の家族。お二人は、自宅を見るようにと連れて行ってくれました。独り身だと四畳半とキッチン、二人は二間、三人は〜と決められているが、とにかく狭くて〜物置がほしい、人間が横になると床が見えなくなり、何処にでも手が届くのよ〜と苦笑されていました。

写真→さよなら〜

時間が来てお別れの時には、小雨の降り出した中、みなさんバスの周りに集まってくださり、名残惜しんでくださり手を振ってくださいました。またくるね〜〜心からそう思いました。

<参加者交流会>

夕食時の交流会には、現地で支援されているNPOデイサービス施設長の須田さんも来て話してくださいました。須田さんが心配していたのは、ボランティアさんがしっかり傾聴しているかどうかだったそうです。

「失礼でしたが、一人ひとり話をしているところをチェックしましたが、みなさん、お上手だったので安心でした。1週間前の打ち合わせでは、仮設の方々は暗い顔で不安げだったのです。今日は本物の笑顔が出ていました!ここに来て初めてみる笑顔です、本当に嬉しい」と彼女も満面の笑みでした。

自己紹介がてら認知症予防ネット・スリーA方式予防ゲームの説明と、二つのゲームを体験してもらいました。みなさんとても楽しそうに、あれっ?出来ないぞ〜などの声も聞こえましたが、爆笑もあり少しは理解してもらえたと感じました。

持参のNPOのお土産を須田さんに「仮設の皆さんと折がありましたら予防ゲームをしてください」とお願いしました。とても喜んでくださり、必ず活用しますと力強く仰ってくださいました。

私たちを除いて10名の参加者は首都圏のかたで、ナース、デイサービススタッフ、福祉関連事業者などが多く、また身内の認知症見送り体験者も居て、関心を持ってくださいました。スリーAの増田末知子氏が引き戻された小菅さんをモデルの松井久子監督の映画「折り梅」(原作:忘れても幸せ:小菅もと子)も大好きで教材にも使う、何度も観ていますという看護師さんもいらっしゃいました。

第二日目<津波跡地>

写真→仙石線 東名(とうな)駅

仙台と石巻をつなぐ仙石線の東名駅付近を見てきました。線路はすでに取り除かれていてプラットホームだけが残っていました。瓦礫はすっかり取り除かれていて、1階部分が抜けた家屋、商店が所々にポツンとあり、修理をして生活されている住宅はありましたが、家を建て替えることは出来ないとのことでした。

津波のあと野晒しされた田畑は土を変えなければ植物は育たないので、区分された田んぼや畑は緑がなく茶色のままです。あちこちの堤防や崖が崩れたまま、真新しいテトラポットや土嚢が工事を待っているようでした。

<東松島仮設住宅訪問>

工業団地の売れ残りの空き地に建てられた仮設住宅、小さな食堂・商店・郵便局・理容店もありました。

食堂でお話した方は川沿いに住んでいるが当日は海岸近くの野蒜駅(被災東名駅隣)近くに居て、なかなか収まらない揺れに驚いたが、大きなものが倒れるようなことはなかった。最初の揺れが収まって直ぐに家に戻った。津波の警報は聞かなかった。津波は川をあらゆるものと一緒に逆流してくる、自動車、損傷された遺体、家、助け上げた三人、真っ黒く渦を巻いて押し寄せた!

仮設住宅でのパラソル喫茶は余りの寒さなので室内で。宣伝が行き届いていたのか、入れ替わり立ち代り大勢の方々が見えました。話の内容は津波などの話は出なく世間話でした。

5〜6回の打ち合わせで親しくなった方が初めて当日のことを話し出してくれた、やっと話す気になったのだと主催者代表は感動されていました。その方の奥様は避難所から家に忘れ物を取りに帰り流されてしまった、何故そのとき行かせてしまったのか悔やんで負い目になっている、明るく振舞っているが〜

現地支援のNPO宅老所責任者の近藤さんは仙台市から訪問されていてNPOお土産(スリーA方式認知症予防ゲームテキストほか)をプレゼントすると、宅老所で練習して役立だてたいとこちらも喜んで頂きました。

写真→バスでのゲーム

バスの中でデイサービススタッフの方が、色んなゲームがあると聞いたが、ゲームをもっと教えてほしいと言い出されて、私はバスガイドさんの席に立って、予防ゲームの20種の説明と指・腕・リズム・お手玉・ドジョウさんを、バスに揺られながら一緒にやってもらいました。
その方は「指数え、グーパー体操などはデイサービスでもやるんですよ〜しかし、一緒にやって拍手して褒めることはしなかったので、早速取り入れて楽しんでもらいます」
手持ちのテキストを同行の中野がプレゼントすると、バスの中で熱心に読んでくださっていて、胸が熱くなりました!

ここまでしっかり説明と体験まで出来たことは、スリーAの大きな広報となり参加した甲斐がありました。

この応援部隊に参加し一緒に活動して思ったことは、優しさのシャワーのかかわりと傾聴をしていけば、お役に立てるのではないか、スリーAは必ず受入れられるということでした。どこまで実行できるか考えて、いつかまたきっと応援に行きたいと思います。

〜〜〜〜〜〜

4月9日(本日)までに、このツァーでお会いした福島の須田さん、折り梅がお好きなHさん、お話したS氏よりお便りをいただきました。

須田さんは理事長にお手製のお手玉とリボンのお礼と、私たち二人の笑顔とスリーAの素晴らしさに感動されていて、私たちの優しさのシャワーの笑顔を絶やさない交流を目に留めてくださったこと、喜びです。
Hさんは、テキストとDVD購入のメールをいただきました。お送りしましたら、早速ご主人様とDVDを見ながらゲームを楽しんだそうです。こちらも感動でした。

S氏は、全国からの励まし、復興支援パラソル喫茶と交流会で応援していただき、おかげで何とか元気に過ごしています。元の生活に戻れるまで、家族・一族一同頑張っていきたいと書かれていました。

写真→3・11請戸港

同封されていたのは、集会所で私たちを写してくださった写真と、3・11当日写された被災地の様子、人が住めなくなった原発強制避難地区に放された牛たちの写真、説明をつけて同封されていました。当日の写真は、スカッとした青空のブルーが印象的な打ち上げられ横転している漁船、壊れた道路の写真でした。

運営委員 福井恵子