万葉の歌人・大伴旅人

日 時 平成24年5月12日(土)
場 所 大社公民館
講 師 山内英正氏(甲陽学院高校)
 大伴旅人は家持の父で、晩年は大納言にまで出世した人物で、
万葉集には長歌一首・短歌七十七首があり、これらに短歌五首を
加えるという説もあります。
 大伴家は「天孫降臨」の折、弓と剣を持ってニニギノミコトを先導
したとされる古来からの武人の名家です。
 歴史的には金村の頃に一旦失脚しますが、壬申の乱で復権し、やがて藤原氏の台頭により中央から疎外されて行きます。それでも名門として、天皇の吉野行幸には参加しています。
 そこでは、「昔見し 象の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも」(昔見た吉野の流れも今見れば、昔以上にすがすがしい。)と賛美しています。
 また720年に征隼人特節将軍として南九州に赴き、「隼人の 瀬戸の巌も 鮎走る 吉野の瀧に なお及かずけり」(九州の海峡もすばらしいが、吉野の瀧には及ばない。)と詠んでいます。
 ただ727年に大宰帥(長官)として赴任した頃から深酒をするようになり、多くの賛酒歌を残しており、たとえば「酒の名を 聖と負せし 古の 大き聖の 言の宜しさ」(酒の名を聖者と名づけたことは、何と言葉のすばらしいことよ。)等々がありますが、これは大宰府に赴任して1年後に愛妻を亡くしたことと大きく関係しているようです。