アイヌ絵に見る暮らし

日 時 平成24年5月25日(金)
場 所 園田学園女子大学
講 師 松山利夫氏(平安女学院大学特任教授)
 松前藩は1599年に徳川家康から蝦夷地支配を認められ、
1604年にはアイヌとの交易独占権をも認められました。
 蝦夷地の経営に乗り出した松前藩は、オムシャ(アイヌへの
規則申し渡し・酒等の提供)やウイマム(アイヌ集団間の交易・
アイヌ長老の接待)等を行い、実績を積んでいきます。
 この地を「北海道」と命名されたのは明治元年のことで、開拓使の松浦武四郎によるものだそうです。
 その昔、律令制の行政区分として五畿七道が定められましたが、このうち七道とは「東海道・西海道・南海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道」ですが、この中に北海道が含まれていなかったことから、これを取って名づけられたようです。
 北海道を拠点とするアイヌの暮らしぶりについて、日本の絵師が描いたアイヌ絵が貴重な資料として存在いたしますが、その絵師にも「訪問型(豪商等の注文によって描く)」と「滞在型(幕命によって蝦夷地調査のために描く)」があるとのことです。
 歌にもなった「イヨマンテの夜」の「i(イ:それ・熊をさす)oman(オマン:送る)te(〜させて下さい)」とは熊送りの祭のことで、アイヌは熊から肉・薬・毛皮等を与えられることから、自然の支配者としてアイヌ絵にたびたび登場いたします。