万葉のこころ・大伴旅人

日 時 平成24年5月26日(土)
場 所 大社公民館
講 師 山内英正氏(甲陽学院高校教諭)
 万葉集の中心は大伴家の資料に負うところが大きく、特に
旅人・家持の存在は大へん大きいと言われています。
 旅人が文芸の花を咲かせたのは最晩年で、727年に62才で
大宰帥(長官)に赴任していることから、主なものは九州および
その往復でのものが多いようです。
 九州では、精神的ダメージを二つ受けており、ひとつは老齢での赴任による望郷の念と、今ひとつは赴任直後に愛妻を亡くしたことです。
 前者を表す歌は、「やすみしし 我が大君の 食す国は 大和もここも 同じとそ思ふ」(天皇が治めるこの国は平城京も大宰府も同じで奉公を尽すのみ。)と詠っていますが、これは表向きで、本当は都へ帰りたいと願っている様子がうかがえます。
 後者は、「橘の 散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き」(私は橘の里にやって来て一方的に泣いている日が多いです。)と悲しみにくれる様子を詠んでいます。
 そして730年に大納言に出世して都へ帰ることとなり、「帰るべく 時はなりけり 都にて 誰が手本をか 我が枕かむ」(都へは帰れるが、今後は誰が腕枕をしてくれるのか。もはや妻は居ないのに。)と、都へ帰れる嬉さと妻を亡くした悲しみを表現しています。