殷王朝の社会と文化

日 時 平成24年6月4日(月)
場 所 園田学園女子大学
講 師 桐藤 薫氏(園田学園女子大学講師)
 中国において、前16世紀〜前14世紀頃に黄河流域で栄えた
殷とはどのような国家だったのでしょうか。
 この国は国家の中心である都を幾度となく遷都しています。
 また王は主として祭祀と占トによって国を治めてきた関係上、
王の側近にはシャーマンや巫女達が多く居たそうです。
 この頃の法は、ヨーロッパが個人の人格を主としていたこととは異なり、専ら民を支配するために使用されていました。
 そして他の部族から身を守るため、軍隊を組織していましたが、その内容は三軍を基本とし、左・右・中軍に分けられて、これらが互いに連携しながら敵に対処する方法をとっていました。(写真は当時の戦車)
 武具や防具は青銅製が多くみられ、その他に石器や骨器等もありました。
 一方 生活は農耕が中心で、邑人(村落に居住する氏族:戦時は兵士にもなる)や衆人(農業奴隷)と呼ばれる人々が携わっていたとのこと。
 この頃の田植えや収穫等は、陽歴(365日)と陰歴(1カ月)を組合せて使用していたようで、これの誤差については数年に一度閏月をおいて調整していました。
 紀元前の昔からかなり複雑な計算がなされていたとは、大へんなおどろきです。