平成24年6月5日(火) 午後の部で実施
場所: 明石市男女共同参画センター
主催: (財) 兵庫県芸術文化協会
講師: 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
平安末期の武将。清盛の嫡男で母は高階基章の娘。
保元の乱(1156)及び平治の乱(1159)では、戦功を
上げ、伊予守に任じられます。その後は平氏の政界進出と
ともに、順調に出世します。平氏の政権とは、「商業政策」
です。今までの日本は、班田収受とか荘園の、農業中心政策でした。貨幣は補助的役割で、農業生産を上げることがすなわち「富」でした。
「日宋貿易」は清盛の父。忠盛が先鞭をつけ、それにより、忠盛が財をなし、平氏台頭の基盤を築き、貿易政権樹立へと向かおうとしますが、世の中はそれを理解しようとせず、平氏滅亡の芽を生むこととなります。また重盛は仏教にも熱心で、東山の麓に48基の灯篭を立て、その光に仏の姿を見たそうです。
清盛がやったことは早すぎたかもしれません。日本は、弥生文化が入ってきて以来、米文化の定着に全力を尽くしました。大和朝廷とはそういう政権です。
現在日本は、国際的な構造変化への対応が遅れて競争力は低下していますが、成長市場への攻略で巻き返しが必要です。